翌日も山の探索をすることになった。
なにせ、手がかりがあまりにも少ない。
今のところ、被害者の数は、人間一人と天狗だけとはいえ、それが今後増えないとも言い切れない。
被害者が出ようが、晴明には直接関わる事ではないが、陰陽寮と賀茂家の威信に関わってくる。早急に犯人を割り出す必要があった。
身支度を整えた朝食後、晴明は己の式を一同に集めた。
昨晩の宴は丁重にお断りしたため、晴明が二日続けて二日酔いになることはなかった。
もっとも、だからといって、機嫌がいいかと言われればそうでもなく。
昨日よりマシと言ったほどであろう。
「汐毘、凰扇は共に山の北側から、刹影、天清は南から探れ」
開口一番、晴明はそう命じた。
「はあ? なんであたいが猫と一緒なんだよ」
凰扇が不満の声をあげる。
晴明が四神に指示を出すとき、二人一組で命じることは珍しくは無い。だが、多くの場合、刹影と汐毘、凰扇と天清で組ませる。
「なんだ、汐毘と組むのが嫌なのか」
「べ、別にそういう意味じゃ……。なんでいつもと同じじゃないのかって聞いてんだよ」
凰扇とて、汐毘や刹影が嫌いなわけではない。
汐毘と刹影は同じ四神であり、頼りになる仲間だ。だが、一緒にいると、どうしても経験と知識の差を思い知らされて居た堪れなくなる。
卑屈になっているつもりはないが、些細な差が気になって仕方ない。
「わしは構わんがのぉ。しかし、晴明はどうするおつもりだ? まさか、一人で山に入るつもりはなかろうのぉ?」
面倒くさがるくせに、危ない事には一人で首を突っ込みたがる節がある晴明だ。できれば、四神の誰かが傍についているべきなのだが。
「被害者が住んでいた集落で話を聞いてくる」
「では、玄武殿を供に……」
「必要ない」
天清の言葉を素っ気無く遮る。
晴明は懐から縦長の紙を二枚取り出した。紙の表面には文字が描かれている。
唇に寄せて言霊を紡いで投げれば、紙は瞬く間に成人した男性と男童に変じた。
「供にはこれを使う。お前たちは山を探れ」
紙で作った式神たちが、膝を折り服従を示す。それには目もくれず、晴明は再度、命ずる。
一応は貴族の部類に入る安倍の血を引く以上、供を連れずに出歩くことはできない。しかし、話を聞きに行くために刹影を供に連れて行くのは無駄だ。
早くことを済ませて都に帰りたい晴明としては、僅かな無駄も作るわけにはいかなかった。
「御意」
「承知」
「……仰せのままに」
「あー、分かったよ」
四者四様に言葉を返す。
晴明の意図を察した汐毘と刹影は命じられるがまま頷く。釈然としないものを感じながらも凰扇と天清は従う。
主人と式神。
命じるものと、命じられるもの。
言霊を前に頷くしかない式神たち。晴明は僅かに目を細める。
広げられた扇。晴明はその内側に表情を隠した。
「仮にも四神と呼ばれる身。ならば、何も得られぬまま戻るなどという不手際は示さぬよう……期待している」
*
「なぁにが、期待している、だ」
足元の石を蹴っ飛ばせば、遠く跳ね上がり茂みの中に消えていく。
凰扇は口を尖らせ、不満を零す。
「期待している」と言った、晴明の言葉は、四神たちを鼓舞するかのようだ。
しかし、受け取り方を変えれば、何も掴めないならば、それ相当の仕置きを与えると明言されたに等しい。
凰扇は汐毘と共に山の北側を目指して道無き道を進んでいた。行く先を邪魔する枝を払いながら、大股で進んでいく。
「あたいらが、万能とでも思ってんのかねぇ」
四方を司る神と言われても、何でもできるわけがない。四神とは四方の理を治める存在だ。そこに存在するだけで、世の均衡を保つ神。
物の怪に比べれば強大な存在ではあるが、人間が望むような神ではない。それが、分からぬ晴明ではないはずなのに。
「山って言ったって、どんだけ広いと思ってんのか。一日じゃ回りきれねぇぞ」
文句は次から次へと漏れる。汐毘は先行く凰扇の後をゆっくりと追っていく。
凰扇の言いたい事も分からなくはないが、それよりも、汐毘が気になるのは晴明の態度だ。
都を出てから、晴明はずっと気が立っている。
概ね検討はついているが、早いとこ事態を終息させ、都に帰るのが吉だ。
毛皮に絡みつく草を避けつつ、汐毘は凰扇の足元に近付く。
「鳳の姫」
「あぁ?」
呼ばれて、凰扇は足を止めて振り返った。
「関連してそうな区域は、昨夜のうちに特定しておいたからのぉ。そこから、順に回って行く」
「関連って……」
「風の標(しるべ)を読み取るのは、わしの十八番だからのぉ」
凰扇は目を見開いて汐毘に視線を注いでいたが、悔しげに逸らした。
晴明が寝ている間は、凰扇は何もせずに厩(うまや)で待機している。汐毘はその間に、周囲を探っておいたのだろう。
そんな凰扇の心中など見通しているのだろう。
大きく尾を振り、汐毘は一歩、凰扇に近付く。
「鳳の姫」
俯く凰扇を汐毘は見上げた。
「何事にものぉ、得意不得意がある。晴明はそれを良く心得ておる」
「……あたいは」
「晴明は鳳の姫に、場所の特定を命じてはおらん」
「…………」
凰扇は黙って、汐毘を見た。虹色の瞳が凰扇を写す。
困惑と焦りが混じった朱色の目。
汐毘はふるりと身体を震わせた。
凰扇と天清は己の未熟さを知っている。未熟ゆえ、凰扇と天清に、晴明が甘えを見せることを汐毘は知っている。
汐毘と刹影ができないことを、凰扇と天清がしている。各々の役割があることを、若き四神の二体はまだ理解していない。
「晴明は、わしらに山を探るように命じた。それがわしらにできると知っていたからに他ならぬか?」
「…………」
凰扇は答えない。
汐毘に背を向けると再び、歩き出す。汐毘はその後ろについていく。
「素直ではないからのぉ」
気持ちを言葉にする方法を知らない主人は、凰扇や天清に間違った認識をされてもそれを直そうとはしない。
それを察するには、凰扇と天清はまだ若すぎるのだ。
今回、晴明が四神の組み合わせを変えたのも、きっとそれを意図してだ。
汐毘と刹影を別行動にさせることで、探索の範囲を広げ、ついでに凰扇と天清に刺激を与えるきっかけにする。
「本当に素直ではないからのぉ」
はっきりと口に出せれば、こうも周りが焼きもちすることはないのに。
「鳳の姫、北東に向かうぞ」
「……ああ」
ならば、主人の意を汲み取るのも汐毘の仕事だ。少しは凰扇を鍛えてやるのも悪くは無い。
汐毘は大きく尾を振った。
人が行き来する道を一本逸れれば、そこは人ならざるモノが住む場所だ。
天清は先行く刹影の背をずっと眺めていた。
刹影は何も言わずに、どんどん森の奥へと足を踏み入れていく。天清はその後を追うことしか出来ない。
一体、どこに向かっているのか。そもそも、向かう先が決まっているのか。
刹影は一切、天清に説明しなかった。
何度かしつこく聞いてみたのだが、刹影は問いかけに答えない。
話しかけても無駄だと天清が察するまでにそれほど時間は掛からなかった。
お互いに無言のまま、木々の間を歩いていく。
長い衣の裾が草に絡まるため、天清は服の端を握り締めていた。
どこまでも続く森。同じところをぐるぐる回っているように錯覚する。
不意に、刹影は足を止めた。しゃがみ込むと、足元の草を除けはじめる。
なにか、見つけたのだろうか。
「あの……玄武殿?」
天清は背後からそっと刹影の手元を覗き込もうとしたが、その前に刹影が立ち上がる。
そして、何も言わないまま再び歩き出す。
首を傾げつつも、天清は今さっきまで刹影が弄っていた場所に目を落とした。
「これは……獣?」
地面に描かれていたのは獣の足跡だった。恐らくは狼のものだろう。
それにしても――。
「大きすぎません?」
普通の狼の数倍の大きさがある足跡だ。足がこれだけの大きさならば、本体はどれほどになるのか。
「玄武殿、これって……」
顔をあげて意見を求めた天清の視界に刹影の姿はなく。木々の向こうに微かにその姿が確認できるほどで。
「ちょっと、置いていかないで下さいよっ!」
姿を見失わないよう、慌てて追う。
草に足をとられないよう、必死で走ってようやく追いついた。
「あの、足跡は一体……」
「…………」
草を掻き分けていた刹影の手が止まる。天清は口を閉ざし、その視線の先に目を落とす。
「……糞ですか?」
黒く乾いているが、獣の排泄物に違いない。
昨日、保護した狼の子の群れが近くにいるのだろうか。
糞の乾き具合からいって、このあたりにはもういないようだが。
巨大な足跡、狼の痕跡。
それが何を意味するものなのか、天清にはさっぱり理解できない。
理解できないといえば、自分の主人のこともだ。
わざわざ、自分と刹影の行動を同じくさせる理由が分からない。刹影と汐毘で組んだほうが、効率が良いと思うのだが。
それに、晴明を一人で行動させることにも不安があった。
ついこの間、危ない目にあったばかりだというのに。危険に身をおいても、晴明はけして名を喚んでくれない。
式神と主人を繋ぐ名を紡いでくれない。ならば、目の届くところにいて欲しいのに、自由気ままな人を繋いでおく事は難しい。
今日はまだ人里の中にいるから、危険なことはないとは思うが。
さっさと、何か手がかりになるものを見つけて帰還した方が良いだろう。
天清がそんなことを考えている間に、刹影は再び動き出していた。
「玄武殿、何を探していらっしゃるのですか?」
「…………」
天清の問いかけに、刹影は答えない。
普段から言葉少ないが、意思の疎通くらい可能にしておいて欲しいところだ。
同じ四神だというのに、こうも話がしづらいとは。普段、騒がしい凰扇と一緒にいるからか、沈黙が辛い。
刹影は時折、立ち止まっては何かを確かめる動作を繰り返し、天清は付いて行くほかなかった。
それでも、刹影が確かめているものの正体は薄々察することができた。
刹影は立ち止まる時、そこにあるのは狼の痕跡だ。
なぜ、狼の痕跡を探っているのかは分からないが、それが最初に見たあの大きな足跡に関係していることは間違いない。
大きな狼の足跡。その主が、八つ裂き事件を起こした犯人だとするならば――痕跡を追っていけば、その主のもとに辿りつく。
天清は、じっと刹影の背に視線を注いでいた。
紙で作った式神を供に、晴明は八つ裂き死体で発見された男が住んでいた集落へと足を運んでいた。
山奥にある村だ。
村はさほど、大きくない。畑は僅かしかなく、山から得られる木材などで生計を立てているようだった。
出迎えなどがあるはずもなく、胡乱(うろん)な眼差しが注がれる。
その辺りは心得たもので、晴明は注視する村の者――老若男女関わらず――に微かに笑んで見せる。
相手の目が自分の顔に釘付けになったところで、ツイと目を逸らす。
自分の造作が整っている上、その笑みが人を惑わすことを晴明は知っていた。
こうしておけば、少なくとも敵意を抱かれる心配がないことを経験上、理解している。
もっとも、目的は村人の注目を集める事ではない。
誰に話を聞こうかと視線をさ迷わせ、ふっと畑にいる男に目が行く。
これから種を撒くところなのだろうか。鍬で土を耕していた。
被害者は男性だと聞いている。ならば、話を聞くならば、同じ男の方が良いだろう。
畑を耕していた男に近付くと、
「すいませんが、少し話しをよろしいでしょうか?」
屋敷の主人に世話になっているものだと名乗った後、晴明は礼儀正しく、穏やかに話を進める。
一瞬、訝むような目を晴明に向けるが、満面の笑みで微笑まれ、男の視線が釘付けになる。
男の日に焼けて浅黒い頬が僅かに染まった。
「先日、こちらで人が亡くなられる事件がありましたでしょう。わたくしは、それを解決するために陰陽寮より参ったものでございます」
「……じゃあ、あんた、おんみょーじってやつかぁい?」
「はい、そのようなものでございます」
始終笑みを絶やさずに対応する姿。晴明の本性を知る者が見れば絶句する光景だった。
だが、知らぬものにとってはこれほどない応対相手である。
「亡くなったって……正吉のことかぁい?」
「はい。その正吉、と言う方についてご存知であることを教えていただきたいのですが」
「それなら……」
男は畑の向こう側を指差す。
その先には、小さな建物が見えた。
「正吉の女房に聞くといい。あそこに見える家か正吉ン家だぁ」
「そうですか、ありがとうございます」
丁寧に礼を述べると、晴明は衣の裾を震わせて、示された家へと近付いていった。
家というよりも納屋のようだった。少なくとも、晴明の基準ではそれは家とは呼べなかった。
四つの木の柱に、木の板を貼り付けただけの家。御簾の代わりなのか、草を編んだものが入り口に垂らされていた。
「ごめん下さい」
心中の感想をおくびにも見せず、晴明は中に向かって呼びかける。
中で何かが動いた気配がした。
「……どなた?」
聞こえた声は若い女のものだった。
「わたくし、陰陽寮から参ったものですが。正吉さんのことについて少しお話を聞かせていただければと思いまして」
入り口から覗く目。晴明は穏やかに微笑んでみせる。
息を飲む気配がした。笑顔の大判振る舞いに見惚れないものなどいない。
女が晴明を中に招いたのは数秒後だった。
女はキエと名乗った。
歳は晴明と大して変わりはなく見えた。
生活はとてもじゃないが、豊かとはいえないのだろう。
薄い麻布の衣を纏い、見るからに寒々しい。家の中は狭く藁が敷いてあるだけで、やはり納屋という印象が拭えなかった。
キエが正吉と夫婦の契りを結んだのは一年前だという。
夫婦の間にはまだ子供がおらず、キエ自身もまだ正吉が死んだとは信じられていないようだった。
「お辛いことだと思いますが、正吉さんがどういう方なのかお話していただけないでしょうか」
「……あの人は、優しい方でした。幼くして両親を亡くした私を引き取り育ててくれました」
「夫であると同時に育ての親でもあると言うことでしょうか?」
女は頷いた。
こんな寒村では病に掛かっても医者に診てもらうだけの余裕はないだろう。
孤児になった子供を養うには相当の覚悟が必要と思われるが、それが最初から女房として迎えるつもりだったなら分からなくもない。
そうなると、正吉というのはキエの二回りほど年上ということになる。
「私、風邪を引いていたんです。あの人は薬草を探しに行ってくると言って、山に入って……でも、暗くなっても戻ってこなくって。そしたら、翌日……」
女は喉を振るわせた。顔を伏せて泣きじゃくる。
妻のために薬草を採りに行って八つ裂きにされたということか。
狙われていたのか、それともたまたま運が悪かったのか。
この話からでは、そこまでは分からなかった。
晴明は女の肩に手を回し、宥めるように撫でた。
「お辛いことをお聞きするようですが。正吉さんが誰かに恨まれていたというようなことは?」
女は首を左右に振る。心当たりはないのだろう。
しかし、気がつかなかっただけで恨みを買っていることは、間々あることだ。
晴明は女に優しく声を掛ける。
「悲しいからといって、いつまでも泣き崩していてはいけませんよ。わたくしでよろしければ、何か力になれることはありませんでしょうか?」
「では……」
女は顔を上げて晴明を見た。涙に濡れた目が真っ直ぐに晴明を見上げる。
「一つ、頼まれてくださいませんか」
震える声。
縋るように掛けられた視線に晴明は笑んだ。
「よろこんで」
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