「なるほどね」
オレは書類に目を通しながら、頷く。
ここまで来たら隠したところで意味がないというわけで、オレはラスカから例の書類を受け取り、中身を確認していた。
もともと、書類はカークがラスカに見せるために持ってきたものらしい。
「カークはこれをどこで手にいれたんだ?」
「わからない」
詳しい話を聞く前に殺されてしまったのだと言う。
「確かにな。ここに書かれているのが真実だとしたら、蟲を使ってでも始末する必要があるだろうな」
つまり、どうあってもオレたちは始末される運命というわけだ。
「……すまない」
呟きが風に乗る。
「すまない」
謝罪は、オレに対してか、死んだカークに対してか。
オレはそれを聞こえないふりをした。
書類を返せば、ラスカはそれを懐にしまいこんだ。
オレは何か言おうとして、何も思いつかず唇を閉ざし、ラスカもまた、一瞬、口を開いたがやはり音にすることはなかった。
二人の間を強い風が吹きぬけていく。
助手席から身を乗り出して、来た道を眺めれば、タイヤの痕が砂の上に走っていた。
土埃の向こうに隠れて、基地はもう見えない。オレは息を吐いて再び座席に沈み込む。
なんだか、とっても疲れた。だが、休んではいられない。ここからが本番だ。
沈めた身体を起こし、助手席の背凭れに胸を預ける形で後方を見張る。
どれくらいそうしていたのだろうか。
地平線の端から浮かび上がってきた影。それは全速力でこちらに近付いてくる。
「来た来た来た来たァ!」
オレは風に流されぬように、声を張り上げた。
基地外へと逃げたオレたちを追いかけて蟲が迫ってくる。
制止を求めてくるが従うわけにはいかない。すでにオレたちは脱走兵だ。投降したところで待つのは悲惨な明日だけ。
ひゅん、と跳んで来た鉛玉が車体を掠めた。
「血気盛んだなぁ」
呼びかけに応じないと判断して、強硬手段に出てきた。
まぁ、走る車両を普通に撃った所で簡単にあたるはずがないから、弾の無駄としか思えないけど。
だが、採取用の使い古しの車と違って、相手の車両の方が性能は良い。追いつかれるのは時間の問題だ。
「ラス、オレに作戦がある」
「……作戦?」
オレは車の荷台に置かれているバイクを示した。
「二手に別れよう。お前はこのバイクに乗って、オレはこのまま車で……」
「駄目だ」
正面を向いたまま、ラスカが言った。
「お前を一人にするわけにはいかない」
言葉だけ聞くと、素晴らしき相棒愛だが、ラスカがそんな甘いことをいうはずがない。
ラスカ語を訳すと、「お前は弱いから、一人にさせられない。目を離したら、すぐ死ぬだろう」ということになる。
「あのなぁ」
オレは首を竦めた。
「オレだって、それなりに訓練は受けているし、この三年間、前線でやってきただろうが」
「この三年間で、四回気絶、六回負傷し、そのうち二回は大怪我の分類に入ると思うが」
「ちょっと待て、配属直後のもカウントに入れてるだろう? あれはなしだ。それから、オレが負傷するような目に会っているのは、ラスが命令無視して前線に突入するからだろう」
「命令無視ではない。優先順位の問題だ」
こいつのせいで、この三年間、現場に投入されるたびに危険な目にあってきた。
衛生部隊の仕事は、拠点に運ばれてきた負傷兵を治療することだ。
銃弾が飛び交う中で、患者を抱えて走ったり、敵兵をぶん殴ったりするのが役目でないはずだ。
「二手に別れるのは駄目だ」
「ラスちゃん、状況を見ようぜ」
背後に迫る車両に目を向ける。距離が狭まってきている。ぐずぐずはしていられない。
「このままじゃ、二人揃ってお陀仏だ。悪いが、オレはお前と心中するつもりは毛頭ない」
「…………」
二人ならば、ある程度の状況に対応することができるのも確かだが、一網打尽にされる可能性が高くなる。何も、追っ手を倒す必要はない。今すべきなのは、生きて逃げることだ。そのためには、二手に別れたほうが、敵を撹乱することができる。
オレにわかることが、ラスカにわからないはずはない。
わかっているのに、それを許すことが出来ないのは、カークを、仲間を目の前で殺害されたという事態に、ラスカ自身の整理がついていないためか。
オレも同じようになると思っているためか。
「ラスちゃん、オレがそんな簡単にくたばるようなタマに見えるかよ」
「……見えないな」
「なら、問題ないだろう。心配しなくても、憎まれっ子世に憚るって言うだろうが」
自分で言ったら終わりだが、ここはラスカを納得させるのが先決だ。オレがおどけて見せれば、ラスカは困ったような表情を浮かべた。
それも一瞬、ラスカは真剣な眼差しで前を見据えると、
「それで、お前の作戦はなんだ」
オレは口元を歪めた。
「やつらは、お前は生かして捕えようとするはずだ。書類の出所を確認する必要があるからな」
実際には、ラスカはカークに見せられただけで、どこから流出したのか知らないわけだが、蟲の連中は立場的に上官であるラスカがカークに持ってこさせた。或いは、カークに渡したと考えているだろう。
だからこそ、あそこでカークは殺され、ラスカは生かされた。
「ということは、オレのほうは問答無用で殺される可能性が高い。たとえ、出所を知っていたとしても、お前を生きて捕まえれば良いだけの話だからな」
ラスカの眉が潜められる。
こいつは、自分の命が危うくなるよりも、人の命の方を優先したがる。医者の鑑といえば聞こえがいいが、単なる愚か者だとオレは思っている。
「そこでだ。お前がこれを被って、バイクで逃走する」
オレは荷台の箱を漁る。取り出したのは、オレの髪と同じ色のカツラだった。
「遠目ならこれで十分に誤魔化しが効く。やつらは、オレがバイクで逃げたと思って狙撃してくるはずだ。まぁ、殺る気でくるだろうから、ラスちゃんは、なんとか頑張ってかわして頂戴な」
「つまり、オレが囮というわけか」
「さすが、相棒。話が早くて助かるな」
認めるのは悔しいが、運動神経というか、こういう状況における対応に関してはラスカの方が優れている。
一方、オレがバイクで逃げたということは、車を運転しているのはラスカということになる。もともと、ラスカを生きて捕えるのが目的なのだから、本気では殺ってこないはずだ。それならば、オレでも上手く逃げることができるかもしれない。
「お前のほうは、大丈夫なのか?」
「やばくなったら、投降するふりをして薬でもばらまくさ」
「…………」
オレの薬品の危険性を理解している相棒は、ノーコメントを貫きやがった。
薬を喰らうことになるかもしれない追っ手に、哀れさを感じたのかもしれない。
クラクションの音が響く。ぐずぐずしていられない。
「作戦にしてはお粗末だな」
「この状況では、立派なもんだと思うけど」
軽口を叩いていられたのもここまでだ。
数台のバイクが迫ってくるのをオレは視界の端に捉えた。
まずい、左右を挟まれた。向けられる銃口。掛かる引き金に――。
「ラスっ!」
咄嗟に上げた声は銃声に遮られた。
両手に銃身を握り、器用に足でハンドルを捌いて、ラスカは的確にバイクの操者を狙撃した。
オレは心の中で拍手喝采だ。
こいつが軍医に似合わず、戦いなれしているのは知っていたが、曲芸ちっくなことまでできるとは思わなかった。
ここは素直に賞賛しておくことにした。
「ラスってば、実は強――」
「救うことよりも」
オレの賛辞を風に流して、ラスカは悲しげに目を伏せた。
「壊すことは何故、こうも簡単なのだろうな」
その手に握る銃で、追っ手を屠りながら、正論を掲げる。
オレは、そんなラスカに――。
――人の死に、くだらない感傷を抱くラスカに、苛立ちを覚えた。
結局のところ、こいつは――。
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