「で?」
「…………」
普通に下に降りて行ったら、途中で出くわす可能性があるので、壁に取り付けられている非常時用の梯子を使って降りていく。
主語も動詞もないけれど、オレの言いたいことなんてわかっているはずだ。だが、ラスカは口を固く閉ざしたままだ。
その目には迷いと恐れ。何に迷い、何に恐れているのか、手に取るように分かる。
一先ず、オレが使っている調合室に隠れる。普段から人気はないし、人気がないからこそ、誰かが近付いてくればすぐにわかる。
薬品棚から使えそうなものを取り出す。
「ほい」
オレはラスカに銃器の類を投げ寄越した。
ラスカが怪訝そうに首を傾げた。
「調合室にどうして、こんなものが置いてある?」
「護身用に決まっているだろう。お前と違ってオレは敵が多いんだよ」
「……自覚はあったのか」
こいつは、余計な一言が多い。助けなければ良かったぜ。
そんな後悔をしても今更遅いので、オレはラスカに向き直った。
「ラスちゃん、それで?」
「…………」
「だんまりかよ」
壁に背を預けて、眉間に皺を寄せ、何かに耐えるように口を真一文字に結ぶ。
オレはラスカの横に立つと。
「大方、推測はできているけどな」
隙あり、とラスカが手にしていた書類の束をオレは奪った。
「シラー!」
「わぁっ」
繰り出された膝がオレの脇腹を抉りかける。反応がもう少し遅れていたら確実に腹をやられていた。
思わず、手放した書類をラスカが拾い上げる。
「お前には関係ない」
拒絶の言葉が吐き出される。
オレに奪われないよう、ラスカは書類をきつく掴んだ。
おそらく、その書類こそが蟲が動いた原因であり、カークが殺害された理由だろう。だからといって、普通、自分のバディを蹴るか?
「シラー」
鉄色の瞳の奥が暗く燃えていた。オレはそれを見返す。
「お前には関係ない。だから――」
「手遅れだろう」
ラスカの言葉を遮って、オレは首を竦めた。
「さっきの見てただろう? ああいう手段しかなかったとは言え、結果的に蟲野郎に喧嘩を売ることになっちまったし。お咎めがなく済むとは思えねぇよ」
敵の頭に酸の入った箱を落としたのだ。上から見た様子だと、間違いなく死者が出ている。まぁ、不可抗力だ。許しておけ。
「……今なら、まだ俺のせいにして――」
「手遅れだって」
なんとかして、オレを部外者扱いしたいらしいが、世の中はそんなに甘くはない。オレとラスカがバディである以上、オレがあの現場に居合わせた以上、オレはどう足掻いたって共犯者扱いされる。
さて、どうしようか。
状況は最悪だが、オレはまだそれほど悲観視していなかった。黙って殺されてやるつもりは毛頭ない。
こういう場合、部隊長に相談するのが一般兵の正しいあり方なんだろうが、蟲が動いた以上、オレたちが接触する人間はことごとく始末されることになるだろう。
「ラス、逃げるぞ」
「……逃げる?」
「ここにいたらいずれ捕まる。そうなれば、カークみたいに射殺されるか、拷問されて殺されるかだ」
カークの名前を出した瞬間、ラスカが唇を震わせた。
俺たちは、前線で医療活動を続けてきた。軍の人間が目の前で死んでいく様を見てきた。
だが、ここは戦場じゃない。安全な基地の中だ。
誰も死なないはずの基地で、目の前で仲間が殺された。
「ほら、行くぞ」
オレはラスカを促すが、ラスカは動かない。
「お前は、残れ」
「ラス――」
「逃げるということが、どういうことだか分かっているのか?」
基地から逃げる。つまりそれは、帝国軍からの脱走ということだ。帝国軍に反するということは、すなわち、ウィルレーン帝国そのものに反することだ。
オレたちは、ウィルレーン帝国によって作られた。ウィルレーン帝国では、人間は製造され、管理される。帝国のために生まれて、戦い、死ぬ。
オレは、袖をまくった。手首に刻まれたコード。そこには製造番号が描かれている。
シラーという呼び名は正式ではない。
「M-6420」、それがウィルレーン帝国においてオレを現す名称だ。
ラスカにも、バードケージの仲間にも、基地にいる人間全てにコードが刻まれている。
帝国を捨てることは、存在意義を捨てることだ。
「だから?」
オレは言う。
「オレは死にたくない。帝国がどうだなんて関係ないね。死にたくないから逃げる。それだけだ」
お前は死にたいのか?
オレの問いかけに、ラスカは首を左右に動かした。
「ここで死ぬわけには行かない」
「だったら、逃げるだけだろう」
オレは笑った。ラスカは暫く考えこんだあと、黙って頷いた。
「じゃあ、逃げようぜ」
部屋の外が騒がしくなっている。ここがばれるのも時間の問題だ。
「オレに良い案がある」
ラスカが不安げな顔をしたのは、気のせいだと思っておくことにしておく。
蟲の目を掻い潜ってオレたちは車庫へとやってきた。入れ替わりの時間なのか、いつもいるはずの番兵の姿はない。
車庫にはオレが明後日、使うはずの車が置かれている。幸いにも、車両の鍵はオレが持っているから自由に使えるわけだ。
ラスカに車のキーを渡し、オレはその間に車庫の扉を開く。出撃しやすいように、車庫の外は門を一つ挟んで基地外に出られるようになっている。
土煙が打ち付けた。車庫に置かれた木の箱がガタガタと音を立てる。
開かれた扉の先にあったのは――突き抜けるように高い空と、荒れ果てた大地だった。
オレは助手席に飛び乗る。ラスカがアクセルを踏んだ。
「とりあえず、スィーベルに向かおう」
ウィルレーン帝国領内は全て管理されている。どこに逃げても、すぐに居場所がしれてしまう。ならば、国内から脱出するほかない。
国外に出るならば、エクラウス王国側よりも、スィーベル側の方が近い。
今は、一刻も早くここを離れるべきだ。
「止まれ!」
背中に迫る声。視線を向ければ、銃を構え迫る一団。
止まれと言われて止まるやつはいない。
「うぉっ」
ラスカがアクセルを踏み抜いた。急加速に体が持って行かれそうになるのを必死で堪える。
銃声を合図に、オレたちは基地を脱した。
|