毒薬と逃亡 「3」 本文へジャンプ


 時計の針を確認すると、昼の休憩時間も終わりに近付いた頃だった。
 オレは調合室のある棟の正面にある建物の屋上にやってきていた。
 屋上には気晴らしに良く来るのだが、本来ならば施錠されているため、オレ以外の人が立ち入ることはない。
 ちなみに、管理されているはずの鍵はオレが持っている。ある伝から入手したのだが、まあ、出所はわざわざ口に出すようなもんじゃない。
 今日、屋上に来たのは、気晴らしのためではなかった。
 薬を保管している部屋が調合室まで遠いため、移動の申請をしていたのだが、昨日、ようやく許可が降りた。
 許可が降りたら、すぐに移動させないと今使用している部屋が使えなくなってしまう。
 だが、失敗作も含め、相当の在庫がある。誰かに手を借りようかと思ったが、そんなことに人手を割いてくれるはずがないし、なによりオレのハニーたちを下手に扱われるのは我慢ならない。
 保管室と調合室は、中庭を挟んで二階の真向かいにあるため、階段を上り下りし、渡り廊下を通らなければならない。
 オレの体力は一般兵のそれよりない。別にオレがか弱いだけではなく、薬師という立場柄、力を使うことがあまりないからだ。ラスカみたいな体力馬鹿な医者が珍しいだけ。
 そういうわけで、楽して運ぶために屋上にきたわけだ。
 何に使うためかは知らないが、屋上には滑車がある。その滑車には向かい合う二つの建物を結ぶようにワイヤーが張られていた。
 これを利用しない手はない。一度に大量の在庫が運べる上、何度も階段を往復する必要がないのだから。
 ワイヤーの端を薬剤の入った箱につけて、壁際に吊るす。これが思ったより面倒だったが、コツさえ掴めばさほど難しくはなかった。
 そこまでしたところで、オレは反対側の屋上にやってきた。
 こっちでワイヤーを巻いて、こっちの棟の壁際に寄せて、新保管部屋の窓から箱を受け取り、部屋の中に引き込む。
 なんか、普通に運ぶより手間が掛かっている気がしてきたが、重いものを持たずにすんでいるので良しとしておく。
 ぶらぶらと揺れる箱。みしみしと音がしているのは、ワイヤーが錆びているからか。
 切れて箱が落下したら大惨事だろうな、とぼんやりと考えた。
 確か、今運んでいるのは、酸性の強い薬品ばかりだ。落下して瓶が割れたら、化学反応を起こしてどうなるのか、オレにも想像できない。
 まぁ、こんな時間に中庭に出てくるようなやつはいないだろう。オレはそう高を括っていたが。
 話し声が聞こえて、オレは視線を下に移した。
 中庭に入ってくる二つの影。
 ウィルレーン帝国軍の証とも呼べるレンガ色の軍服を纏った二人の男。
 遠目でも分かった。一人は、ラスカだった。もう一人は――カークだ。
 二人は何か話している。ここからじゃ、さすがに会話は聞こえない。
 あぁ、まずい。この状況をラスカに見られたら何を言われるかわかったもんじゃない。それにカークがいる。ラスカの小言だけなら聞き流せるが、カークが無駄に騒いで、部隊長からあれこれ言われるのは遠慮したい。
 オレはさっさと運んでしまおうと、出来る限り静かにワイヤーを巻く。
 しかし、オレは再度手を止めた。
 中庭の木の前で言葉を交わしている同僚。そして、中庭に入ってくる一団の姿。
「あれは……」
 オレは懐から小さな望遠鏡を取り出して、確認する。
「間違いない。あれは――」
 オレは隠れた。中庭に入って来たのは――。

 蟲だ。

 ウィルレーン帝国の始末屋。軍部に、帝国に逆らうものを抹消する部隊。
 ――バグズケージ。

 俺たち、バードケージが人を救うのならば、それに対局する存在だ。
 それが、明らかに、ラスカとカークを狙っていた。
 じわりとした汗が手の平で滲んだ。心臓が嫌な音を奏でた。

 一拍の間の後――。

 甲高い銃声。
 何が起きたのか、見なくてもわかった。嫌な熱が背中を伝った。
 オレはそっと庭を覗きこんだ。
 カークが倒れていた。
 真っ赤な液体が石畳に広がっていくのが分かった。
 頭を撃ち抜かれている。即死だったのが、唯一の幸いだろう。
 ラスカは無傷のようだが――あまり無事ではないようだった。突きつけられる銃口になすすべなく立ち尽くしている。
 ラスカは軍医にしておくのは惜しいくらい、武器の扱いには慣れているし、戦場でも一般兵以上に戦える。しかしだ。あれだけの人数に囲まれては、どうしようもないだろう。
 オレは暫し、瞠目する。
 大きく息を吸い、そして吐いた。
 屋上に設置されている機械の一つを作動させる。ワイヤーよりも細く、テグスよりも太い縄を素早く通した。
 ベルトに手を回し、取り出したのは黒い銃身。オレは、再度、息を吐き、勢い良く身体を起こすと、

「マンティス、上だ!」
 肺の空気を全て吐き出して叫んだ。中庭の視線が一斉に上に向けられる。
 叫びながら、引き金に指を掛ける。サイレンサーを装着しているため、空気が抜けるような間抜けな音が手元で鳴った。
 ぴん、と張り詰められたワイヤーが断ち切れた。錆びていたそれは、呆気ないほど簡単に弾ける。箱を支えるものが切断され、落下する。その下には、ラスカとそれを取り囲むものたち。
 オレは素早く、稼働中の機械を動かした。空を引き裂くように、縄が発射される。
 隣の建物にワイヤーを張る際に、事前に別の縄を投げるための機械らしいが、ここに置いたやつもこんなふうに使われるとは思っていなかったに違いない。
 狙い違わず、縄の端がラスカに巻きつく。
「オレってば、天才」
 軽く口笛を吹きながら、レバーを引くと、一気に縄が巻き取られる。
 縄が完全に巻き取られる前に、オレはレバーを押し戻した。レンガ色の身体が屋上に投げ出される。
「ナイス・フィッシング!」
 唖然とした顔が見えた。口元を歪める。
 オレはラスカを見事に釣り上げた。さすがのラスカも状況を呑み込めていない。
 オレは下を窺った。
 地獄絵図とはこのことを言うのか。俺が特別調合した酸同士が交じり合い、地面に大きな穴をあけている。それを直接浴びることになった哀れな犠牲者たちは、見るも無残な腐臭を発して、悶えている。
 青黒い煙が立ち上り、その強烈な匂いに眉を顰めた。
 最悪だ。調合の美学もクソもない。単純に混ざっただけの薬品なんて、失敗作どころか、ゴミとすら呼べない。
「シラー」
 背後から呼びかけられて、オレは振り返った。
 ラスカは身体に巻きついた縄を外していた。
「相変わらず、無茶をする」
 呆れたような声音に、オレは少しむっとする。
「うっさいな、文句言うとリリースすっぞ」
 助けてやったんだから、最初にまずは礼をいうべきだろう。
 さらに何か言い返そうとしたオレは、ラスカの蒼白になった顔色に口を閉ざした。
「……カークが」
 ようやく吐き出された言葉はそれだけだった。
 下で喚く声がする。オレはラスカの肩を叩くと、
「話はあとだ。一先ずここから離れるぞ」
 まったく、厄介なことになったと言わざるを得ない。
 オレたちは、屋上をあとにした。




 

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