毒薬と火薬 「6」 本文へジャンプ


 ジープが宙を舞う。風が一瞬、ぴたりと止まったように錯覚した。
 オレはハンドルから手を離すと、転げ落ちるように車体の外へと身を投げた。
 全身に鈍い痛みを感じたのと、爆音が轟いたのはどちらが早かったのか。
 オレは数秒ほど気を失っていたらしい。
 気がつけば、オレは地面に仰向けに倒れていた。ところどころ痛みを感じるが怪我らしい怪我はない。
 無意識のうちに受身を取っていたようだ。
 オレは後方を振り返る。
 ジープが爆発したのだろう。大きな火の手があがり、焦げた臭いが鼻を掠める。
 あの爆発に巻き込まれたなら、ポルタは生きていないだろう。オレは運が良かった。下に何もなかったおかげで、打撲だけで済んだ。
 頑丈な外箱のおかげで、懐の薬も無事だ。
 掛けていた眼鏡は、なんとか無事だ。少し、傷がついてしまっているようだが、視界に支障はない。
「マジ、死ぬかと思ったぜ」
 安堵の息を吐きつつ、オレは匍匐前進で移動を始める。
 どうやら、降伏したと思っていた敵さんが反旗を翻したらしい。
 緊張が解けていた状態で奇襲を受け、慌てて逃げ出すことになったのだろう。
 こんなことになっていると分かったら、ポルタに興奮剤を飲ませずにあのままゆっくり来たのに――。
 後悔、後先立たずとは良く言ったもんだぜ。
 地面を這いずりながら、オレは自分の行動を反省する。
 ここにいるのは危険だ。外に部隊がいるはずだから合流して、とっとと、ここから逃げるべきだ。
 オレは腹ばいになったまま、村の外に出るルートを探す。
 そのときだ。オレの視界に飛び込んできたのは、レンガ色の軍服の背。
 塹壕用に空いた穴から覗く黒髪。人か……それもオレと同じ軍服を着ているということは味方。
 オレは頭を上げて、その顔を確認する。
「マジかよ」
 無意識のうちにオレは地面を指で引っ掻いた。
 頭の中の記憶と、目の前の人物が照合されていく。オレはその男を知っていた。



 衛生部隊第七医療小隊長、ラスカ少尉




 僅か、数メートルの先にいたのはオレのバディとなった軍医だった。







土煙のせいで視界が悪く、下手に身を起こせば流れ弾に被弾しないとも限らない。
 村の出口が分からないオレは、まさに超ピンチってとこだ。
 そこに降って沸いた幸運。
 クロウ隊、ラスカ少尉。
 オレの上官にしてバディになった男。
 直接の面識はないが、資料を見たとき写真で顔を確認しておいたから、間違いない。
 それが今、目の前にいる。
 オレは姿勢を低くしつつも身体を起こして、そいつに近付いていく。
 やつはオレに気付かない。爆音と銃声がオレの気配を掻き消しているようだった。
 オレは塹壕の中に入ると、呆然として立っているその肩に手を伸ばした。
「あのぉ、すいません」
 オレはやつの肩を叩いた。やつは振り返る。
 驚愕の表情がオレの視界を占めた。いきなり声を掛けられれば誰でも驚くだろう。
 オレは、へらりと笑った。
「ちわー」
 あのですねぇ、と続けようとした言葉は遮られた。
 何が起きたのか理解できなかった。
 足に衝撃が走り、腕を強い力で掴まれる。地面に引き倒され、息が詰まった。
 咄嗟に叫び声を上げかけたが、後頭部に当てられた固い感触に口を閉ざす。
 腕の痛みと胴への圧迫感。
 事態を理解したのは数秒後。
 オレはやつに組み敷かれていたらしい。それもどうやら、敵だと認識された上で。
 あー、なんでこう、予想外の展開ばかり起きるんだろう。
 オレは心の中で溜息を漏らした。







 目が合ったのと、やつが口を開いたのはほぼ同時だった。
「……目的を言え」
 もくてき? 目的って何が?
 問われた意味が分からず、無言でいると銃口がさらに強く押し付けられる。
「いや、あのちょっとまっ……」
 取り敢えず、敵ではないことを証明しなければ。
「自分はウィルレーン帝国軍衛生部隊第七医療小隊に昨日付けで配属されました。シラー伍長でありますっ! 部隊長はファルケン少佐であります」
 オレは爆音に負けないように声を荒げる。
 口に砂が入ろうと構っている場合じゃない。
 こんなところで、自軍の人間に討たれてお陀仏なんて冗談じゃねぇ。
「身分証を見せろ」
 言われるがまま、辛うじて自由な片手を動かして、懐から、身分証を取り出す。
「ハーニスから来る薬師とはお前のことなのか?」
 身分証に目を通したラスカ少尉は、独り言のように呟いた。
 まさにその通りです。配属後、即国外に飛ばされて、徹夜で山登りをさせられ、辿り着いた砦で薬を大量に作らされ、挙句の果て前線に行くように言われ、ジープが暴走して爆破炎上。さらには、村にいるはずの前線部隊は奇襲を受けていて、ようやく会えた相棒に銃を突きつけられているオレこそ、その薬師ですとも。
 やけくそに叫びたかったが、そんなことをすれば襲撃してきている敵に居場所を知らせるようなものだ。それに銃はまだオレの後頭部を捉えている。
 引き金に掛けられた指が、ほんの少し動くだけでオレはお陀仏だ。
 そう考えただけで、ぞっとする。
「取り敢えず、この銃をどけてもらえませんか?」
 やんわりと相手を刺激しないように告げれば、一応は敵ではないと認識してもらえたようで銃口が外される。
 オレは安堵の息をついて、起き上がろうとしたが、
「まだ伏せてろっ!」
「……っ!」
 強引に頭を掴まれ、強制的に伏せさせられる。強か顔面を地面に打ちつけて、俺は喉の奥で呻いた。鼻がじんじんと痛む。
 なにしやがる、と叫びたかったが、耐える。
「イエス、サー」
 小声で返すが、相手は用心深く周囲を見渡しオレの方など気にも留めていない。なんて、失礼なやつだ。
 ずれた眼鏡を直しながら、文句を口に仕掛けたが、
「なっ!」
 間近で爆音が響いた。石礫が被弾し、土煙が視界を覆う。
 オレは咄嗟に腕で顔を覆う。
 口の中に入った砂を唾と共に吐き出す。
 ああ、もう、なんでこう次から次へと――。
 転がってきた何かがオレの頭にぶつかった。おそるおそる顔を上げたオレの目の前にあったのは――。
「ありゃま」
 赤黒い液体が散らばっていた。
 ごろりと転がったそれに嫌悪感を隠せず、オレは眉をひそめた。
 つい先ほどまで行動を共にしていたポルタ一等陸兵の生首が、恨めしげな目でオレを見つめていた。
 ジープの爆発で絶命したであろうポルタの遺体から、今の爆風で首がもげて飛んできたらしい。
 触るのは嫌だったが、間近で睨みあいはもっと御免だ。
 オレはポルタの首を掴むと塹壕の外へと投げ捨てた。ごろりと転がる生首。
 精々、成仏してくれよ。言っておくが、お前が死んだのはオレのせいではない。運が悪かっただけだ。ウィルレーンという国に生まれたことを恨め。オレを恨むな。
 ああ、なんかわけの分からない液体が手についた。後で入念に洗わないといけない。もっとも、生きて戻れたらの話だが。
 顔をあげれば、クロウ隊の隊長殿は険しい目付きで周囲を睨んでいた。そんなに睨んだところで、この状況が変わるとは思えないが。
「小隊長殿、発言してもよろしいですか?」
 こんなときに発言の許可も何もないとは思うが、規則に従うのが軍人の定めだ。
「許可する」
 オレの方を見ずに、返答する。オレは首を竦めた。
「砦まで逃げません?」



 

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