カラスと火薬 「7」 本文へジャンプ


 敵の奇襲によってラダ村は落ちたも同然。生存者はすでに砦に撤退しているだろう。オレたちがここに留まる理由はないし、これ以上ここにいることは、明らかな自殺行為だ。
 少し考えるような間があった。
「射撃の経験は?」
「射撃ですか? 訓練生時代は常に成績……」
 問われて答えようとしたオレの言葉を遮って、ラスカ少尉はマシンガンを手渡した。オレはマシンガンと少尉を交互に見やる。
「突破する」
「はい?」
 オレは目を白黒させた。突破って?
 質問を返す前に、少尉はもう一丁のマシンガンを手にし、塹壕の外に飛び出した。銃声がするほうに向かって、マシンガンの引き金を引く。
「マジかよ。嘘だろう」
 オレの呟きは銃声に掻き消される。ああ、ちくしょうっ!
 つまりは、マシンガンをぶっ放して敵を牽制しつつ、村を脱するということだ。なんちゅう、無茶技。作戦も糞もねぇ。
 いや、まぁ、オレたちは衛生兵であって策士ではないのだから、作戦を立てろと言われても困るのだが。
 唖然としている数秒の間に、少尉の姿は砂煙に掻き消される。オレは慌てて塹壕から出た。
 置いていかれたらたまったもんじゃない。村の周囲は高い塀で囲まれている。オレは村の出入り口を知らない。少尉に案内してもらわなければ、無事に外に出ることができない。
「冗談じゃねぇぜ」
 自慢じゃないが、射撃の腕前は相当良い。だけど、オレは薬師だ。薬師の仕事は重いマシンガンを抱えて走ることでも、それを撃つことでもない。
 ひゅん、と風を切って銃弾が頬を掠める。オレは銃口を持ち上げて我武者羅に引き金を引く。
 鼓膜が、じんと痛んだ。爆発音が手元から響く。
 考えてみると、射撃の腕とマシンガンをぶっ放すのはあまり関係がない気がする。どっちかっていうと、現状はただ相手を牽制するために、マシンガンを使っているに過ぎない。
 まぁ、オレたちの最重要目的は生きて砦に戻ることであって、敵を倒すことではないのだから、その辺の細かいことはどうでもいいのかもしれないが。
 視界が悪い中、オレは必死で先行く少尉の背を追う。
「あぁぁああ」
 叫び声。土煙に紛れて姿を現した敵兵が、オレの姿を認めて飛び掛ってきた。オレは適当に狙いを定めて、マシンガンの引き金を引くが。
「ちっ、弾切れかよ」
 まぁ、あれだけ派手に撃てば、すぐに弾はなくなってしまうだろうが。
 生憎、銃器を専門に扱っているわけではないから、その辺の加減というのが、いまいち掴みにくい。
 仕方なしにオレはマシンガンを振り回し、襲い掛かってきた兵の腹部を強打する。
 脇腹は人体の急所だ。ちょうど、肋骨の下は内臓を守る骨がなく、内臓に直接打撃が伝わる。
 重いマシンガンを捨てると、オレは少尉の後を追った。
 少尉はオレみたいに弾を無駄遣いしてはいないらしく、前方から派手な銃声が響く。
 さすがに素手では心もとない。
 オレは懐から薬剤の入った筒を取り出す。腰に手を回し、取り出したのは銃――ではなく玩具の水鉄砲だ。それに筒をセットする。
「覚悟ぉぉぉお!」
 何の覚悟だ。という突っ込みは置いといて、襲い掛かってきた敵兵に向けて、オレは先ほどの水鉄砲を発射する。
 透明な液体は、オレに向かって銃口を向けていた敵兵の顔に降りかかる。
 途端に上がる白い煙。鼻につく嫌な匂いが掠める。
「うぎゃぁぁぁああああ」
 醜い叫びが鼓膜を打つ。オレはそれには脇目も振らず、走る。
 筒に入っていたのは、酸の一種だ。まさか、こんな用途で使うことになるとは思ってもみなかった。
 備えあれば憂いなしとはまさにこのことだ。
 もっとも、それほどストックは多くはない。
「マイハニーがなくなる前に帰れるかなぁ」
 オレは溜息を漏らした。









 ガクン、と体が上下に揺さぶられ、固いものにぶち当たった衝撃でオレは目を覚ました。とはいっても、瞼は重く開かないし、四肢も石になったように動かない。
 死んだか、と思ったが意識があるのでまだ生きているのだろう。生憎、オレは幽霊っていうものを信じていない。この世は生きているものの天下で、死者が口を出す隙間なんてないのだ。
 オレは霞みかかる意識をなんとか保とうとする。
 ラダ村の外に出たところまでの記憶はある。その後、情けないことに気を失ってしまった。
 別にオレが貧弱なわけではない。寝不足と疲労が蓄積されていたことと、取り敢えずの危険を脱したことの安堵感で緊張の糸が切れたのだ。
 オレはなんとか腕を動かそうと試みたが――。
「……には山ほ……いた……とがあるが……一先……良く……て来た」
 聞いたことのある声が耳に入る。これは――ファルケン少佐か?
 ファルケン少佐がどうしてこんなところにいるのか分からないが、どうやらオレは無事に敵から逃げ果せたらしい。
 オレの近くにいるのは、ファルケン少佐と――声からして恐らく女性、そして、オレがこんな目にあった全ての元凶であるラスカ少尉のようだ。
 銃声と爆音が木霊する中、非戦闘員であるオレは良く頑張った方だと思う。オレの繊細な手は傷つき、オレのガラスのような壊れやすい心は爆音と共に散った。
 これも全て、昨日付けでオレの小隊長であり相棒となった男のせいだ。
 マイハニーのほとんどは無駄に使用する羽目になったし、全身は痛いし、散々としか言い様のない。
 着任早々、どうしてこんな目に合わなければならない。
 あとで、たっぷり仕返ししてやる。一日中、トイレから出られない苦しみを味合わせてやる。
 そうオレは固く決意し、そして、それを最後に意識は再び途絶えた。







 あの後、オレは丸一日、意識を失っていた。
 あとで聞いた話だと、ラダ村再襲撃の連絡が帝都に伝わり、急遽、部隊長が所属するイーグルも出動することになったらしい。
 意識を失ったオレは、ラスカ少尉に担がれ、砦まで運ばれた。
 重傷とまで言わないが、オレは相当な怪我を負っていた。意識の無いオレを、少尉が付きっ切りで治療してくれたという。
「気分はどうだ?」
 簡易医療用テントの中。オレは薄い毛布の上に寝かされていた。
 口の中がまだじゃりじゃりしている気がする。腕や足を包帯で巻かれ、自由に身動きは取れない。
 衛生部隊の隊員が、衛生部隊に世話になるなんてあまりにも情けないことだが、今回は不可抗力だ。けして、オレが無能だからではない。新人に前線に行かせるほうが間違っているんだ。
 ラスカ少尉はオレの熱を測り、脈を取り、もう大丈夫だと告げた。
「おかげ様で酷い目に合いました」
 皮肉たっぷりで告げてやる。上官に対する口の利き方なんて糞くらえだ。こんな目に合わされて友好的になれというほうが無理だろう。
「礼には及ばん」
「…………」
 返された言葉にオレは目を細める。皮肉が通じていないのか、それとも本気で言っているのか。
 オレは口元を歪め、小さく笑みを漏らした。
 重なる双眸。鉄色の眼差しがオレを捉える。






 帝国歴四一六年 マンデルの月 六日のこと。
 オレはその日、改めて正式に衛生部隊第七小隊――通称、クロウ隊へと配属した。
 なにより、オレの直属の上官であり、小隊長であり、生死を共にする相棒と正式に対面した日でもあった。

 ファンテオン大陸で、止まっていた歯車がゆっくりと動き出した瞬間だった。





カラスと火薬 完


 

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