毒薬と火薬 「5」 本文へジャンプ


 
 調合の作業からオレが開放されたのは数時間経過してからだ。
 オレはぐったりとして長椅子の上に身体を放り出していた。
「マジ、死ぬわ」
 泣きたい気分だ。
 なんだって、こんな目に合わなければならないのか。
 山歩きのせいで足は痛いし、無茶な調合のせいで手は痛い。さらに、これからラダ村に移動とは、着任早々オレを殺したいのだろうか。
 オレの視界の隅で、談笑しあう兵の一団が見えた。
 彼らにしては、長い間続いていた緊張状態が終わり、喜ばずにはいられないのだろう。
 しかし、その笑い声は今のオレには癪だ。
 こっちはこれから更なる地獄だっていうのに。
 オレは懐を探った。取り出したのはガラスの筒。中には乳白色の液体が満ちている。
 ちょっとくらい憂さ晴らしをしても罰は当たらないはずだ。
 オレはよろよろと立ち上がると砦の厨房に向かって歩き出す。
 効果が出てくるのはオレがラダ村に出発した後だから、一番面白い光景をみることはできないが。
 果たして、入隊式のときと、どちらが面白いだろうか。
 それを考えると、少しだけ気分が良くなった気がした。



 ポルタと共にモスベルクを後にしたのは昼前頃だったと記憶している。
 軽く食事を取る事ができたオレは疲れのせいで、助手席で舟を漕ぐこととなった。
 ケツは痛かったが、それよりも睡魔が打ち勝っていた。
 森の中に作られた道を抜け、草原を走る。
 僅かな時間ではあったが、少し寝たおかげで気分が楽になった。
 景色はゆっくりと後方に流れていく。
 交戦は終わったが、絶対に安全というわけではない。降参したのを知らずに潜んでいる伏兵がいるかもしれない。
 そのため、ポルタはジープのスピードを落として、ゆっくりと走らせていた。
「もっとスピードをあげませんかねぇ?」
「何があるか分かりませんので。日暮れまでには村につくのでご心配なく」
 素っ気無く返されてオレは頬を掻く。
 通常の速さで走れば、三時間ほどでつくはずだ。それを日暮れとは、どれほどの遅さで走っているか分かるというもんだ。
 オレはケツが痛むのを我慢するつもりは毛頭なかった。さっさと村について休息するに限る。
 水筒の蓋を開けると、懐から小さな紙包みを取り出す。ポルタはオレの動きに気付いていない。
 水筒の中身を飲むふりをして、オレはその中に紙に包まれていた粉を入れた。
 軽く振り、良く溶かさせる。
「喉が渇きませんか?」
「ありがとうございます」
 オレは何食わぬ顔で水筒を差し出す。ポルタは疑いもせずに、礼を言い、水筒の中身を口に含んだ。
 さてさて、どんな面白い事が始まるのか。オレは緩む口元をそっと隠した。




 爆音が草原を駆け抜ける。風が物凄い勢いで、俺の顔を打っていく。
 オレは眼鏡が落ちないよう指でそっと支えた。
「オラオラオラオラっ!」
 爆音に混じって、馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返される叫び。発しているのはジープを運転しているポルタだ。
 景色が凄まじい速さで後方に流れていく。
 オレは助手席から身を乗り出し、小さく口笛を吹いた。
 ジープの速度メーターは振り切り、エンジンがマックスの状態で稼動しているのが振動で分かる。
 オレはポルタの様子を窺う。
 ポルタは叫びを上げながら、目を血走しらせ、アクセルを全開に踏み抜いている。ハンドルを握る手は微かに震え、発汗も見られる。
「こりゃあ、失敗だな」
 呟きは風に消える。
 ポルタに飲ませたのは興奮剤だ。
 オレが独自に調合したもので、効果はまだ検証していなかった。
 奮起させる意味で飲ませてみたのだが、ポルタの様子は尋常ではない。
 薬の成分が効き過ぎているのかもしれない。ほんの少し作用させるだけの予定だったのだが……調合比を変える必要があるようだ。
 このままでは多少なりとも後遺症が残りそうだ。もう少し効き目を弱めた方が良いだろう。
 オレは頭の片隅に興奮剤の調合変更を記憶しておく。
 まぁ、薬のことは横に置いといて、ポルタの無茶とも言える運転のおかげで、時間が相当短縮できている。
 ちなみに、オレが身を乗り出しているのは自殺願望があるからではなく、そうしないと座席にケツやら腰やらを打ちつけることとなるからだ。
 ポルタは興奮剤の作用で痛みを感じていないようだが、素面のオレにはこの振動は辛い。
 予定より早く村について休息を取れることを考えれば、これくらい我慢できなくもないが。
 オレは遠くを覗き見るように視線を前に投げ出す。木と草の先に、僅かに人工物らしき陰が見えてきた。
「あそこか」
 あそこに、オレのバディとなったクロウと呼ばれる軍医――ラスカ少尉がいる。
「これで、ようやく」
 口元に弧を描く。
 ようやくだ。ようやく、ここまで来た。
「……クロウ隊ラスカ少尉」
 どんなやつなのか。事前の資料からは詳しい事はわからないが。
「楽しくなりそうだ。なぁ、マイハニー」
 オレは自分の胸を叩く。そこにはオレが特別に調合した薬が仕舞われている。
「さぁ、行くぜ!」
「ぶっ飛ばすぜ、こんちきしょぉぉぉお!」

 暴走するジープはラダ村に向かって爆走していく。
 石を跳ね飛ばし、草を踏み潰して回るタイヤ。
 ずれた眼鏡のフレームをオレはそっと直す。
「んっ?」
 オレは眉を顰めた。風の匂いが変わった。
 吹き付ける風に目を細めつつ、前を窺えば、目的地と思わしき場所から黒煙が上がっている。
「……なんだ?」
 様子が変だ。風に微かに混じるのは火薬の臭い。
「おいっ、ちょっと止めろ」
 おかしい。制圧してから、丸一日も経っていないというのに、村の周辺に見張りの兵の姿が見当たらない。
 それどころか、村のほうから聞こえてくるのは銃声と爆音だ。
「なぁあんじぃ、うぃるれぇぇぇんのぉぉぉおお、たたかぁぁいのぉぉ炎ぉぉお!」
 ポルタは声を張り上げて、軍歌を歌い始める。オレの制止なんか聞いちゃいない。
 やはり、あの興奮剤はとんだ失敗作だったようだ。
 オレは、運転席に足を伸ばし、なんとかブレーキを踏もうとするがポルタが邪魔でそうもいかない。
「くそっ」
 村を囲む塀がどんどん近付いてくる。
 このままでは、衝突してしまう。
「止めろっ!」
 ポルタは前を見据えたまま、意味不明な言葉を口走るだけで俺の言葉に耳を貸す様子はない。
 オレは舌打ちが漏らす。
 こんなところで自爆なんて、冗談じゃねぇ。
 オレはジープから飛び降りようとしたが、すでに直前まで塀が迫っていた。
 ハンドルをポルタから強引に奪うとオレはそれを右に切った。後輪がスピンし、激しい揺れが襲う。
 ジープはそのまま、積み上げられていた資材に乗り上げ、勢いを殺すことのないまま、塀の中へとぶっ飛んだ。


 

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