毒薬と火薬 「4」 本文へジャンプ


「にしても何でまた、スィーベルなんでしょうねぇ」
「なにがですか?」
 オレの問いかけに、先を歩くポルタが振り返る。
 松明の炎が周辺を赤く照らし、まるで周囲を燃やしているようだ。
 見渡す限り視界を埋めるのは木だ。緑の国とは良く言ったもので、スィーベルは草木が満ちる美しい国だ。山脈沿いは開拓がされていないため、ウィルレーン側にもこうして緑が溢れている。
「エクラウスを攻めるなら分かるんですけどね。今のところ、スィーベルは諦観を保っているじゃないですか」
「自分には分かりかねます」
 質問の意味がわからないというように、ポルタは不思議そうにオレを見返した。
「自分は伝令兵でしかありません。任務以外のことについて、あれこれ思考する必要もありませんし、自分は命じられることを遂行するだけです」
 軍属の鏡のような返答を返す。
 まぁ、普通はそうだろうけど。
 ポルタが背に負っている荷物がガチャガチャと音を立てた。見るからに重そうな荷物を平然と背負っていられるのは慣れだろうか。
 一方のオレといえば、手ぶらに近い状態だ。
 追い立てられるように帝都を出されたせいで、オレ自身の手荷物は僅かしかない。
 ならば、物資を運べと言われそうだが――てか実際に言われたが、そこはオレの口先が唸った。

「もちろん、自分が軍属として前線で戦う同士のために、重い荷物を担いで山を登ることには何のためらいもありませんがね」
 見るからに重そうな荷物を差し出した関所の兵に、オレは言った。
「では」
「しかしですよ、薬を扱う身として言わせてもらうと、あまり重たいものを持って万が一にでも転倒したら、手を怪我するかもしれません。薬師の手というのは繊細でしてね」
「はぁ」
 関所の兵は捲くし立てるオレに唖然としつつ頷く。
「薬というのは同時に毒でもあるんですよ。なので、掠り傷を負っただけでも薬を扱う事はできなくなるんです。薬師にとって指先は命なんです。怪我を負えば、薬の調合を行う事はできなくなるんです」
「薬を扱うのは大変なんですね」
「そうなんです。ですが、国を離れ、戦う同士のために、そんなことは気にしていられませんよねぇ?」
「いえ、シラー伍長の手に万が一の事があれば、そちらの方が問題です。荷物はいつでも運べますから、シラー伍長はそのまま山を越えてください」
「そうですか。ではお言葉に甘えて」

 そういうわけで、オレは手ぶらに近い状態で山を登ることとなったのだ。
 実際には多少の怪我くらいは問題ないのだが、少し大袈裟に表現してみた。
 重いものを好んで持ちたいわけがない。
 そういうのは下級兵にやらせることで、オレみたいな教育機関出がやることじゃない。
 天上には青白いマンデルの月が細く輝いている。腕時計に目を通せば、後数時間もすれば、日が昇るって時間だ。
 先の見えない山道。先を行くポルタの持つ松明だけが頼りだ。

「んっ」
 その影に気がついてオレは目を細めた。松明の灯火に映るそれ。
「止まれっ!」
 オレは思わず、声を上げた。
「えっ?」
「下がれっ!」
 あぁ、もう、ぼさっとしてんじゃねぇ。オレはポルタの肩を掴むと、強引に後ろに下がらせた。
「シラー伍長?」
 背に掛かる声を無視して、オレはベルトの間からナイフを取り出した。
 靴裏を擦るように、そっと前へと踏み出し、手首を捻るようにしてナイフを投げた。
 狙い違わず、ナイフの先がそれに突き刺さる。
 オレは、意気揚々としてそれに近付いていった。
「へ、へびですか」
「まぁ、見ての通りだな」
 オレはナイフの柄を持ち上げた。ぷらん、と垂れ下がったのは細長い蛇だ。クリーム色の表面に黒い縞模様がある。
 ナイフは蛇の頭部を刺しているが、まだ生きているのか、尾が左右に大きく振れる。
 オレは懐から小さなガラスの筒を取り出した。
 蛇の頭を抑えながら、筒の縁に牙を掛けさせ、そこから毒を抜き取る。
「こいつの毒は強烈だ。噛まれたら、十中八、九助からない」
「……そうなんですか」
「でもまぁ、こいつの毒は薬になるし、内臓とか肉も使える。全身、薬になる稀な蛇だ。まったくもって、ラッキーだぜ」
 生憎、精製する道具は持ってきていないが、帝都に戻ったらやれば良い。滅多に手に入らないブツを手に入れられたのは幸運としか言いようがないだろう。
 毒を採取し終えたあと、オレは完全に蛇の息の根を止めた。丸めて紐で縛るとオレはそれをポルタの背負っていた荷物に括りつけた。
「あの……シラー伍長」
「心配しなくても、もう死んでる。ほら、急がないと時間までにつかないぜ」
 オレはポルタの肩を叩くと先に歩き出した。
 折角、手に入れた蛇だ。有意義に使わなければならない。
「なんの薬を作るかなぁ」
 手の中には蛇から採取した毒液がある。濃い黄色の液体が筒の中で揺れている。一滴で十数人を殺せる毒。
 飲み物にでも混ぜれば、気付かれない。口に入れれば、致命的。
 もちろん、そんな馬鹿なことには使わないけど。
 使用方法を考えると、帝都から出てからずっと憂鬱だった気分が、少しだけ良くなった。







「あぁ? マジかよ」
 オレは眩暈を感じて、思わず呻き声を上げた。
 スィーベル領内モスベルク砦にオレがついたのは、日が昇ってから数時間経った頃だ。
 夜通し山を歩いたため、疲労はピークに達していた。
 そんなオレに追い討ちを掛けるように、到着早々告げられたことは――。
「ラスカ少尉は日が昇る前にここを発ち、現在、ラダ村にて医療活動中です。シラー伍長もラダ村に向かい、現地にて合流してください」
「…………」
 これは、あれか? 所謂、新人いたぶりってやつか?
 着任して即国外で、徹夜で山を越えれば今度は前線地に行けと?
 出迎えた兵は、呆然とするオレにご丁寧にも事情を説明してくれた。
 それによると、
「スィーベル軍が潜伏していたラダ村は、昨夜、降参の意志を示しました。村を明け渡す代わりに、負傷者の手当てを要求。事態が長引く事は地の利がない我々にとって不利と判断。要求を受け入れ、直後、ラダ村を制圧。現地での負傷者は敵味方含め、多数出ているとの報告がきています」
 交戦していたならば、相当数の負傷者がいるとみて間違いない。ましてや、「村」というならば、まともな医療具がない場所だろう。
「……他の医療小隊は?」
「現在、スィーベル領内では第七医療小隊、および第五医療小隊が活動しています」
「へぇ、第五医療小隊が? それで今どこに?」
 第五医療小隊は通称、パロット隊と言う。
 当然、配属されたばかりのオレはパロット隊の軍医と薬師とは面識がない。新入りの身としては、近くにいるのなら挨拶をしに行ったほうがいいだろう。
「それが……」
 兵は言葉を濁す。
「ラスカ少尉を追って、つい先程、ここを発ちまして」
「じゃあ、ラダ村の方に?」
「たぶん、そうだと思いますけど」
 なんとも、煮え切らない言い方にオレは首を傾げる。
 少なくとも、ここにはいないということだろう。
 負傷兵は、この砦に運ばれた後、本国へと強制帰還されることになる。
 軍医ならば、運ばれてくる負傷兵をここで治療すればいいだろうが、オレは薬師だ。もちろん、多少の知識は身につけているが、本職に及ぶものではない。
 オレに下った命令は、ラスカ少尉と合流しその手助けをすること。どのみち、オレはラダ村に行かなければならないというわけだ。
 溜息ばかりが口から漏れる。そこに、
「シラー伍長。お手数なのは分かっておりますが、ここにも負傷者がおりまして、なにぶん薬も足らない状態です。調合材料は揃っておりますので、少尉と合流する前に薬を作っていただきたいのですが」
 追い討ちを掛けるように言われて、オレはもう口を閉ざすしかなかった。
 交戦状態が長らく続いていたため、貯蔵しておいた薬の類がなくなったのは分からなくはないのだが。
 調合材料だけが残っている――つまり、先にいたはずのパロット隊の薬師が調合していなかったということだ。医療活動が忙しかったのか、あるいは単なる怠慢か。どちらなのかは知らないが、面倒な仕事を残していったものだ。
 オレは天を仰いだ。見えるのは煤汚れた天井だけで、オレの気分は更に滅入った。
 ノー、とは言えたらどんなに楽だろうか。
 それができないことをオレは理解していた。





 薬の調合というのは気を遣う。ほんの僅かに分量を間違えただけで、薬は毒へと変わる。
 調合環境によっても、扱い方が変わる。薬というのは繊細だ。
 だからこそ、医者と同じように、それを扱う適性を見出されるものは多くはない。
 オレは薬壺の中に、調合材料を注ぎ込む。黄土色の粉が壺の中に落ちていく。
 棒で中身を混ぜると固く封をした。封には今日の日付を記しておく。
「これは貯蔵庫行き。十日したら使っても良いぜ」
「イエス、サー」
「おいっ! そっちの赤い葉っぱを取ってくれ」
「これでありますか?」
「そう、それ」
 調合室と仮名を与えられた部屋で、オレは数人の兵の手を借りながら薬を調合していた。
 鎮痛剤、解熱剤は薬師として基本的な調合だ。だからと言って、手を抜くわけにはいかない。
 薬は毒、毒は薬。僅かな量の誤りや、手順の間違いから薬は毒へと変わる。
「これを粉にしてくれ。あぁっと、マスクをしろよ。吸い込むと頭がラリるぞ」
「……幻覚剤の効果が?」
「まぁ、多量に吸い込まなきゃ大丈夫だろうけど」
 不安そうな表情を見せるそいつの肩をオレは軽く叩いた。
 専門知識がないやつに手伝わせると、余計に気を回さなければならないのが辛いところ。
「そっちのも、封をして今日の日付を書いてしまっておけ。それは一日に一回かき回す必要があるから、誰か担当を決めといてくれ」
「イエス、サー」
 鎮痛剤、解熱剤を作りながら、オレは懐から小さな小瓶を取り出す。
 中にあるのは、濃い黄色の液体。あの毒蛇から入手したものだ。
 ちなみに、毒蛇本体は日のあたるところで天日干しにしている。乾燥したら粉末にする予定だ。
 この液体が血管内に入れば、即死に繋がる。
 年に数人はこの毒にやられているそうだが、血清はそれほど多く出回っていない。
 噛まれてから症状が出るまでが早く、血清があってもそれを打つ前に被害者が死ぬ確率の方が高いからだ。
「一応、作っておくか」
 この砦に常備させるためではない。オレ自身が持っているためだ。こういうもんは、ないよりあったほうがマシだし。
「そっちの、器具とってくれ」
 呼びかければすぐさま、兵が器具を寄せてくる。自分で動かなくていいのは便利だ。
「それじゃあ、マイハニーを作りますか」
 オレの手の中で、小瓶の液体が小さく揺れた。



 

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