毒薬と火薬 「3」 本文へジャンプ


 中断が中止になったのはすぐ後のことだ。それはそうだろう。お偉い方はトイレから出て来られない状況なのだ。
 まぁ、正式配属はもう終わっているし、新人は各自の上官に連れられ解散となった。
 オレはファルケン少佐について、式場を出た。
 このまま、他の隊員と顔合わせでもさせられると思っていたオレは眉を顰めた。
 向かっているのはどうみても帝都の外へと続く門のほうだ。
 嫌な予感が脳裏を掠めた。オレの場合、こういうのは外れた試しがない。
 やがてついた門のところには一台のジープと待機していた兵。
「シラー伍長」
「はい」
 恐ろしく真面目な顔で少佐は言った。
「スィーベルの領内、モスベルクの砦に今から行ってもらう」
「はっ?」
 上官に対し、間抜けな声を返したことをどうか許して欲しい。それほど、この命令は予想外だったのだ。
 そんなオレの心中をこの上官は察してくれたらしい。咎めることはせずに、言葉を続ける。
「衛生部隊のバディ制は知っているな?」
「もちろんであります」
 オレは即答した。これくらい知っているのは仕官として当然だ。
 衛生部隊には七つの医療小隊がある。
 医療小隊はそれぞれ、軍医と薬師のペアで構成されている。そのペアのことをバディと呼ぶ。小隊というのは形式上の呼び名でしかなく、実質的に七つの組(バディ)によってできている部隊というわけだ。
 衛生部隊は部隊として集団で動く事はまずない。それぞれの小隊が各々の任務地を割り当てられ、そこで活動を行う。
 バディとして一度組んだペアはどちらかが退任するか、死ぬまで同じものと組み続けるのが基本だ。
 任務中は四六時中、行動を共にすることになる――まさに公私を共にする相棒(バディ)。
 軍医と薬師という、特殊な役職故の制度だ。欠員が出ない限り、衛生部隊に配属されたものは、誰かとバディを組むことになる。
 オレはこのたび、第七医療小隊への配属が決定した。第七医療小隊にはすでに軍医が属している。そいつがオレのバディとなるはずだ。
「我が隊はバードゲージとも称され、各正体に鳥名(バードコード)がつけられている。シラー伍長が配属となった第七医療小隊は通称鴉(クロウ)隊と呼ばれている」
 教官のように説明する少佐にオレは頷く。
 ちなみに、部隊長である少佐が属する第一医療小隊にはイーグルとつけられているそうだ。
「そのクロウ……いや、ラスカ少尉は現在、モスベルクの砦にて任務に当たっている。本来なら、顔合わせのためにここに戻っているはずだったのだが」
 オレは自分の予感が当たったことを理解した。
「シラー伍長。これから、モスベルクに向かいラスカ少尉と合流。クロウ隊の任務を支援するように」
「……イエス、サー」
 まじかよ、と叫びたいのを堪える。
 上官からの命令を退けることはできない。軍属となった以上、それは絶対だ。
 それにしても、着任早々、国外って……。
 なんとなく、波乱の予感がして、オレは人知れず溜息を漏らした。


 オレは生まれてからウィルレーン帝国から出た事はない。
 地図で場所は確認してあるが、途中で山を越えなければならないので、初めてには少々厳しい道のりだ。なので、一人で行くというわけにはいかない。
 ちょうど、モスベルクに向かう伝令兵がいたので共に行くこととなった。
 かくして、オレは夕日を背に帝都ハーニスを脱すこととなった。





 このファンテオン大陸には五つの国がある。ウィルレーン帝国、エクラウス王国、スィーベル、ツィアト、モルキア。
 先の二国は、二大国家として大陸の中心的国家であり、建国以来の仲の悪さゆえに、争いが絶えない。一方、他の三つの国は今のところは中立を保ち、静観の姿勢をとっている。
 オレが今向かっているスィーベルという国は、別称を緑の国と言い、その名の通り豊かな森が広がる国だ。
 帝都ハーニスより西南、リマンジュ山脈を越えればスィーベルの領内に入る。
 まずは、山脈の麓までジープで移動する。
 狭いジープの助手席に腰を下ろしたオレは、酷い揺れに早速、げんなりする羽目となった。
 クッションなど引いていない座席は普通に座っていても痛いというのに、プラスして揺れだ。
 少しでも痛みを和らげようとオレは座席の下に上着を敷いて座っていた。ないよりはマシって言う程度だが、多少は軽減されている気もしなくもない。
「シラー伍長」
 呼ばれてオレは視線を運転席に向けた。
 ジープを運転しているのは伝令兵であるポルタ一等陸士だ。
 刈り込まれた赤毛。コセットよりも弱冠、色が薄く見える。
「シラー伍長は今回が初任務で?」
「あー、そういうことになりますねぇ」
「初任務で国外とは大変ですね。しかも入隊式後にすぐとは」
「まぁ、任務なんで。ポルタ殿はスィーベルには何度か?」
「はい。幾度か往復しております」
 二人きりの車内。空気を取り繕うために交わされる言葉の応酬。
 代わり映えのない景色を眺めながら、オレは息をつく。
 どこまでも続く荒地。地平線に見えるのは、ウィルレーンを囲む山脈。
 夜気を抱いた乾燥した空気が髪を撫でて舞い上がらせた。
 西側に沈むのは紅に染まる夕日だ。すでに、日の先も消えかけている。
 西から東へ、赤と紫に彩られた空。全てが闇に飲み込まれるまで、そう時間は掛からないだろう。
 その反対側の空には薄らと細いマンデルの月が浮かんでいる。あと二十日もすれば、大きくて蒼い月を目にすることができるだろう。
 今夜は、暖かい布団で寝ることは望めそうにない。
 月を眺めながらオレはそんなことを考えていた。


 リマンジュ山脈の麓に着いたのは、日が沈んでからかなりの時間が経ってからだった。おそらく、日付が変わったとみて間違いはないだろう。
 麓には小さな関所があり、オレの乗るジープはそこに止まった。
 駐在していた兵に敬礼を送りながら、オレはジープから降りた。
 長時間、振動を受けていたせいで、ケツが痛い。ついでに身体中が変に強張っている。
 尻の下に敷いていた上着は、日が落ちてきた途端に襲ってきた冷気によって、本来の役目に戻っていた。
「シラー伍長、大丈夫ですか?」
 強張った身体に思わず呻いたオレを、ポルタが心配そうに見つめる。
 オレは軽く手を振って、問題はないと意思表示する。口を開くのも億劫だった。
 適当な場所に腰を下ろしたオレは、首を左右に振る。コキコキ、と骨が擦れる音が鼓膜に響いた。
 こんな関所では、ふかふかの布団などあるはずはない。固い布団で雑魚寝と言ったところか。
 野宿よりマシだと自分自身に言い聞かせる。
 ポルタはジープから背嚢を降ろし、関所の兵に渡している。それが済んだ後、オレの前へとやってきた。
「モスベルクにはすでに我々が向かっていることを知らせてあります。今から登頂すれば、朝にはモスベルクに到着できます」
「……はっ?」
「先ほど、ラダ村制圧との連絡があったそうで、負傷者が多数いると思われます。シラー伍長はモスベルクでラスカ少尉と合流し、その後、ラダ村に向かってもらう手筈になります」
「ちょっと、待て! 今から、山を登るって!?」
 ウィルレーンからスィーベルを越える箇所は、他のところに比べて標高は高くはない。確かに、今から昇れば朝には砦につけるだろう。
「負傷者のことを考えると一刻の猶予もありません。シラー伍長は登山の経験は?」
「実地訓練で何度かあるけど……マジかよ」
 オレは肩を落とした。固い布団どころではない。夜を徹して山を登らなければならないなんて。
「砦に着いたら、仮眠を取っていただいて構いませんから」
 げんなりとするオレを励まそうとしてか、ポルタが言う。そういう問題ではないのだが。
 オレの不幸はまだまだ続くようだった。






 

←前へ          次へ→