毒薬と火薬 「1」 本文へジャンプ


 ココロと言うものがあるのなら、確かにそれが震えるのをオレは感じた。



 視界を曇らせる砂煙。轟音と銃声が天高く轟く。
 鳴り響く耳鳴りが離れない。
 火薬の匂いが鼻にまとわりつき、喉の奥がひりついた。
 口の中に入り込んだ砂利が舌に絡まる。唾ごと吐き出そうにも、この姿勢ではそうはいかない。
 後ろに回された腕が、きしりと痛んだ。体重を掛けられているのだろう。内臓が圧迫されて吐き気がした。
 拘束された腕。硬い地面の感触が服越しから伝わる。
 痛みをそれほど感じていないのは、この状況に副腎髄質ホルモン――エピネフリン、つまりはアドレナリンが作用しているからだ。
 後頭部に感じる硬いもの。それはオレの頭蓋骨を捉えて逸らさない。
 ほんの少しでも、おかしな真似をすれば、引き金が引かれて俺の頭は潰れたトマトと同じになるに違いない。
 オレは相手を刺激しないように、細心の注意を払いながら、見えづらい視界の端でオレを拘束する男を見た。眼鏡のフレーム越しに映る姿。
 最初に目に付くのは、オレと同じウィルレーン帝国の軍服。
 この騒ぎに巻き込まれたせいか、それともすでにそうだったのか。オレと同じものだとは思えないほど泥で汚れていた。
 盗み見る事ができたのは服と同じく、砂と泥で汚れた顔。
 鈍色の瞳がオレを見ていた。
 感情らしい感情を見て取ることはできなかった。銃声と爆音が響く中で、あまりにも落ち着き払った眼差し。
 その目には動揺も戸惑いも感じられない。ただ、やるべきことをやっているだけ。
 ぞっとした。
 やばい、と思った。
 同じ軍服を着ているのに、この男の目にオレは仲間だとは映っていない。きっかけが一つあれば、オレの後頭部に突きつけた銃の引き金を引くことに躊躇う事さえないだろう。
 ぞわり、としたものが胸の内を這いずる。
 脳が、心臓が、震える。
 医学的概念から言えば、ありえないことだろうが、オレにはそう感じた。
 鉄色を宿す瞳がと目があった。
 轟音と銃声、そして、立ち上る砂煙。


 その男――ウィルレーン帝国軍衛生部隊第七小隊長ラスカ少尉と、そして、このオレ、シラーの最初の戦場だった。




 話はその四日前、年明け前の四一七年ヘリオの月の五十日に戻る。



「おいっ、シラー」
 日差しが燦々と降り注ぐテラス沿いの廊下を歩いていたオレの背後に声が掛かった。
 振り返ると同時に肩を叩かれる。見慣れた顔にオレは表情を崩した。
「コセット」
「聞いたぜ、お前。バードゲージに配属だって」
 どこか哀れむような響きが込められていた。「バードゲージ」という際に、僅かに声が潜められたのをオレは見逃さなかった。
 コセットは、茶色掛かった赤毛の長身の男だ。オレの髪が水色(ライトブルー)だから並ぶと割りと目立つ。
 まぁ、目立つのは嫌いじゃないから、その辺はどうでも良いんだけど。
 共に薬師になるべく、勉学を積んでいる学友だ。正確には積んでいたか。
 オレたちはつい先日、めでたく教育機関を卒業したのだから。
 コセットとは、十五のときから五年間同室だった。悪い意味でも良い意味でも、良い友人として付き合ってきた。
 だが、それも卒業と同時に終わり。
 教育機関を卒業後は、帝国各地に配属されていく。
「お前は、北のほうの……名前は忘れたけど、街の医療機関に行くんだっけ?」
「まぁな、俺はそうだけど。……それより、本当かよ」
 信じられないとコセットは言う。
 その顔には驚愕が張り付いていた。
 オレは一先ず、コセットを促し、歩き始める。コセットはオレと並んで歩きながら唸るように呟いた。
「お前の成績なら軍属なのも分かるが……にしたって、あのバードゲージに? やっぱり、卒業式前にあんなことをしちゃったのが不味かったんじゃないか?」
 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるコセットに、オレはにやりと笑った。
「はっ! 知るかよ。あんなのに引っ掛かる教師連中が馬鹿なんだよ」
「あれに引っ掛からないやつはいねぇだろう」
「なんだよ。お前だって同意したじゃねぇか。卒業前にパッとやろうって」
「そりゃあ、そうだけどな」
 卒業前にパッとやろうと言い出したのはコセットだ。
 オレはそれに同意し、今まで散々厳しくしてくれちゃったお礼に、親愛なる先生方に素敵な贈り物を差し上げたのだ。
 オレってなんて良い生徒なんだろう。
 それを思い出してオレは満足げに頷いた。
 一方、コセットはそうではないらしく、難しい顔を崩す事はない。
「お前さ、まさかと思うけど、バードゲージのことを知らないとかいわないよな」
「知らないわけないだろう。ウィルレーン帝国軍唯一の衛生部隊にして、悪名高き外れ者の集団。……鳥篭(バードゲージ)なんて、随分と洒落た通り名(コードネーム)だぜ」
 最後の呟きは独り言だった。
「分かっているなら、もうちっと、慌てるとかなぁ」
「泣こうが喚こうが、配属命令には逆らえねぇんだから、慌てたって仕方ねぇだろうが」
 オレの言い分にコセットは、「お前らしいけど」と呆れたように言った。
 悪名高きとは言うが、一体、どんな悪名なのか、オレは知らない。たぶん、他のやつらも知らないだろう。ただ、バードゲージという名が一人歩きしている。
 戦場に出る唯一の衛生部隊。その出世率は他の隊の数倍。危険極まりない過酷な戦場に出るためか、所属人数もそれほど多くはない。
 噂は噂を呼び、実際にどんな部隊なのか知るものはそれほど多くない。
 今年、新たに配属されるのがオレ一人だっていうのも、おかしなものだ。他の部隊ならもっと人の出入りが激しいものなのに。
「まぁ、お前なら大丈夫だろうけど」
「……どういう意味だよ?」
 先ほどまで、友人らしく心配そうな顔をしていたのに、コセットはへらりと笑って、オレの背中を数回、どついた。
 オレは仕返しとばかりに、肩をぶつけてやる。
 親友っていうより、悪友。馬鹿をやらかすのも、叱られるのも、その多くを共有してきた仲。五年間、ずっと隣で歩んできた友人。
 進む廊下の先は、右と左に分かれる。
 オレは配属関連の書類確認のために左へ。コセットは新たな故郷となる遥か北の街に向かうため、右の玄関口へ。
 同じ薬師でも、所属が違えば二度と会うこともないかもしれない。少なくとも、街の医療機関配属ともなれば、新たな配属命令が出ない限り、その街から出ることはないだろう。
 五年間、部屋を共にした友人との別れだ。
 感慨深いものを感じないわけでもなくはないが、それを表に出すほど、オレもコセットも女々しくない。
「じゃあな」
 オレは短く別れの言葉を口にして背を向ける。
「ポイズン・シラー」
 追いかけてきた言葉に、オレは思わず足を止めて振り返った。
「お前の毒薬は、鳥篭の鳥も殺せるか?」
 暗示めいた言葉に、オレは口元を歪めた。
「とーぜん」
 ひらりと振った手。右と左、歩みだす足。
 コセットとオレの世界が切り離される。
 そして、オレたちは別れた。



 

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