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三師人 −サンシジン− 本文へジャンプ
三師人


平穏は『盾』が奏でるとのこと

 舞い立つ埃に眉を顰めた。窓から差し込む光が飛び交う小さな粒子の姿を明らかにし、思わず口元を覆う。
床の足を踏み入れた場所には、くっきりと靴跡が残り、天井の隅に張られた蜘蛛の巣の主がかさかさと音を奏でた。
長い間、誰もこの部屋には立ち入っていなかったらしい。
最後に掃除したのは、いつ以来なのだろうか。
 もしや、あいつがここに住み始めてから、一度も掃除していないのか。
 だとするならば、十年越え物の埃ということになる。
 ディオン・グレン・アーデンは、うんざりしながら、手にしていたはたきで、目の前の棚の上の埃を床に撫で落とした。
 短く刈った黒髪に日に焼けた浅黒い肌。柳眉を描く眉に整った鼻筋。
 公爵家の嫡男にふさわしい精悍な顔立ちをした青年は、顔を不快に歪めていた。
 普段は、王国から支給されている白い服をまとっているのだが、今日は灰色のシャツに黒いズボンを身に着けていた。
たとえ、私事の場だとしても、次期公爵家の当主として、王国の「盾」として、常に「盾」の証を纏うことが義務付けられているはずだった。
しかし、今は止むを得ない事情により、珍しく私服を着ていた。
箒と雑巾を携え、仁王立ちで室内を見渡す。開け放たれた窓から風が吹き込み、厚く積もった埃を流す。
飛び上がった灰色の物体は、ディオンの身に着けていたエプロンに付着した。あからさまに嫌な顔をしながら、指先でそれを払う。
別に、埃がついたことを気にしたわけではない。今の自分がどんな恰好をしているのか思い出したのだ。
ピンクのふりふりのレースがついたエプロンが風によそぐ。
ため息を吐きながらレースの裾を摘み上げた。
「ディオン、似合ってるよ」
 心中を見透かすように、声が掛かった。
扉の陰から大きな白い帽子のつばが突き出ていた。帽子はその人物の顔の半分を隠し、弧を描く唇から小さな笑い声が漏れる。
僅かに除く髪はこの国では珍しい赤褐色をしていた。
 白いローブに刻まれた金と銀の刺繍糸で紡がれた蝶と翼の広げた鳥が風に、はためいて歪む。
 声の感じからして、年齢はディオンよりも幾つか下だろう。
足音がしなかったのは、その人物の体が床よりも僅かに浮き上がっていたためだ。
ライオネル・リオンは楽しげな表情で、ふりふりのエプロンを身に纏うディオンを窺っていた。
「似合ってるわけないだろう」
 肩を落としてディオンは力なく反論した。

ブクリエーム王国には、建国にまつわる伝説が幾つかある。
それの一つに、三つの盾の誕生話がある。
創造神の娘コーデリハイムの犠牲愛から生まれた三つの盾。
盾は三人の名を刻み、盾に選ばれた彼らは王国の「盾」として国を守る。
盾の一人は、この国でもっとも腕の良い剣士。
 盾の一人は、この国でもっとも強大な魔術師。
 盾の一人は、この国でもっとも優秀な魔銃士。
彼らは、剣師、魔師、銃師と呼ばれ、この国を守る「盾」となる。
 盾は「三師人」と称され、彼らの一人が欠けたとき、あるいは、彼らの力が弱まったとき、盾は新たな盾の名を刻む。
強国に囲まれながら、ブクリエーム王国は「盾」に守られているゆえに、その国土を侵されることは一度たりともなかった。そう、建国以来、ただ一度足りとも。


銃師――ディオンは、積もり積もった埃と格闘していた。ピンクだったふりふりのエプロンの裾は、黒く変色している。髪や肌にも埃が付着していたが、もはや構っていられる状況ではなかった。
この家は、銃師の実家――アーデン公爵家の離れであるが、わけあって魔師――ライオネルが住んでいる。
離れと言っても、アーデン家の持ち物だ。一般庶民の住宅に比べれば部屋数も広さも半端ない。実際に使われている部屋よりも、使用していない部屋の方が多い。
その使われていない部屋の一室を銃師は掃除していた。
公爵家の人間が埃にまみれながら、箒を片手に物が積まれた部屋を片付けている。アーデン家の執事が見たら、卒倒しかけない光景だった。
銃師だって好きでこんなことをしているわけではない。
好きではないか、他に誰もしてくれないのだから仕方ない。
この家に、たとえ掃除のためとはいえど、人を呼ぶわけにはいかなかった。
なにせ、この家の主は、人嫌いで、人見知りの魔師だ。見知らぬ人間を家に入れようものならば、それだけで暴走しかねない。
「げほ、げほ、げほ」
 埃が気管に入って激しく咳き込む。目端に浮かんだ滴をぬぐいながら、恨めしげに室内を睨んだ。
魔師が住むこの家に、三師人が集うことはよくあることだった。
「盾」になる前から親交のあった関係ゆえに、今更互いに遠慮しあうこともなく、他者を寄せ付けない魔師の家に訪れる者はほとんどいないため、余所からの干渉を受けないこの空間を銃師と剣師は重宝していた。
何かを約束したわけではないが、用のないときは大抵この家に来ることが習慣となっていた。
今日も、三師人は思い思いに寛いでいた。
銃師は趣味である料理に没頭し、魔師はどこからか拾ってきたらしいポスターに掲載されている人物の顔に落書きを施し、剣師――カラム・ファンは分厚い本の中身に視線を向けている。
同じ空間にいながら、三人が三人、違うことをするのはいつものこと。
銃師は鼻歌交じり機嫌よく包丁をふるう。
「あっ」
 小さな声がリビングから聞こえたのはそのときだった。
「ディオン、ディオン」
「なんだ?」
 足音も立てずに台所に入ってきたライオネルに、声だけを返す。
「折れた」
 差し出されたのは先が折られた万年筆。一体、どれだけ力を込めたのか。
「他のが、そこら辺にあるだろう」
「全部折れた」
 真偽を確かめるべく、リビングに視線を向けてみれば、先ほどまで魔師が使っていたテーブルの上には先が折られた万年筆が、何本も転がっていた。
 銃師は目を瞬かせ、魔師が差し出している万年筆を受け取った。
「あのなぁ、ライオネル」
「なに?」
「万年筆に魔力を込める必要はないだろう」
 折られた部分にわずかに残る魔力の残滓を感じ取って、銃師はため息を吐く。
 魔師は言われたことがわからないと言わんばかりに首を傾げている。
 ライオネルは己の魔力を完全に制御できない。そのため無意識に魔力を放出することはよくある。
それを制するのが銃師の役目なのだが――料理に夢中になっていたのと、放出されていた魔力が微弱で気づかなかった。
「他にはないの?」
 悪びれた様子もなく、無邪気に次をねだる。
生憎、手元にあるのは全て折られたあとだ。
剣師に視線を向けてみるが、素知らぬ顔で本のページを捲っている。こちらの視線に気づいていないわけではない。意図的に無視しているのだ。
 剣師ならば万年筆の一つくらい持ち歩いているとは思うが、壊されるかもしれない状況で貸してくれるとは思えない。
「確か、上の物置にあったはずだが」
使われていない部屋は物置として利用されている。そこになら、一本くらいあるだろう。
そう考えて、銃師は魔師を引き連れ、階上に移動した。
物置として使われている部屋の扉を、安易に開けたことを銃師はすぐに後悔することになった。

万年筆はすぐに見つかった。
だが、長い間掃除されず、埃の巣窟となった部屋の惨状を目の当たりにして、素知らぬふりが銃師にはできなかった。
汚いものを汚いままに放置しておける性分ではなく、銃師は埃の山と奮闘することになったのだった。

白い服だと汚れを落とすのが大変だと、主婦のようなことを呟いて、盾になってからは滅多に着ることがなくなった私服を纏い、ひらひらのエプロンをつけて掃除をする。
ちなみに、エプロンは銃師の趣味では断じてない。
掃除に使えるようなエプロンが他になかったのだ。
アーデン家の邸宅にいけば、エプロンなどいくらでもあるだろうが、それを取りにいくためだけに、家に戻るのは面倒だし、エプロンの用途がばれると厄介だ。
ただでさえ、ディオンがこの家に居着いていることを家の者たちはよく思っていないのに、王国有数の公爵家の跡継ぎが女中の真似事などしているなどとなれば、屋敷から出してもらえなくなるかもしれない。
一層、エプロンを付けずに掃除すればいいのだが、形にこだわる銃師としては、そこはどうしても譲れなかった。
「良い歳して、なんて恰好しているんですか」
 笑いが含まれた声に、銃師は雑巾を動かす手を止めた。
 振り返れば、扉に背を預け、眼鏡の奥から生温かい眼差しを向ける剣師の姿があった。
身に纏う白い衣には金と銀で彩られた木の葉と翼を閉じた鳥が刻まれている。淡い金色の長い髪は後頭部で一本に結ばれていた。
カラム・ファンは、顔を隠すように片手を掲げた。
肩を震わせ、身体を折り曲げる。堪えていたが、限界がきたのだろう。
くつくつと響くと音に、銃師は目を細めた。
「お前、笑いにきただけなら、あっちいけ」
 手のひらで追い払うような仕草をする銃師に、剣師は笑いを引っ込めた。
「ライオネルが、お腹が空いたと喚いているんです。鍋の中のものを食べさせても良いんですか?」
「あれは未完成」
 雑巾で窓枠を拭いながら答える。
「早く食いたきゃ、手伝えって言っておけ」
「ライオネルに手伝わせたら、片付くものも永遠に片付かなくなりますよ」
 それでもよろしければ、と告げる声に、銃師は黙って首を振った。
 魔師に掃除を手伝わせたら、部屋を丸ごと吹き飛ばしかねない。
「棚の中のパンでも食っておけ」
 投げやりに呟きながら、バケツに汲んだ水で雑巾を濯ぐ。
黒く変色した水はヘドロのように銃師の手にまとわりついた。
 その様子を剣師は黙って眺めている。手伝う素振りはない。そもそも、手を貸すためにきたわけではない。
 注がれる視線を無視して、銃師は黙々と掃除を続ける。
 家具に積もった埃を落とし、隅の蜘蛛の巣を解き、濁った色になっていた窓を磨く。
 滴る汗をぬぐって、銃師は大きく息を吐いた。全身から力が抜けていくのは気のせいではない。
 長時間の労働は銃師に向いていない。たとえ、それが清掃という単純な作業であったとしてもだ。
 それでも、銃師は黙々と掃除を続ける。容易く弱音を吐けるほど、彼のプライドは軽くない。
 床の汚れを拭き終わり、立ち上がろうとしたときだった。
 銃師の体が傾いた。
 強烈な眩暈に足元が揺らぎ、とっさに近くに棚に手を掛けようとするが、目測を誤り、空振る。
 受け身を取れる姿勢ではなかった。棚に頭をぶつけるな、と脳の片隅で銃師は冷静に判断する。衝撃に備え、歯を食いしばった。
 だが――。
 強い力で腕を引かれた。
僅か一拍の間に距離を詰め、床に倒れこむ前に銃師を引き戻した剣師は冷めた目を向けた。
「ご自分の体力を考えたらどうですか」
「うるせぇ」
 呆れた混じりの言葉に、銃師は囁くように応えた。
 体力のなさは己が一番自覚している。
 魔銃士は、周囲の魔力を集め、力に変えることができる。
その能力は生まれながらのものであり、修練では身につけることのできない特別な力だ。
もっとも、良いことばかりではない。その反動なのか、魔銃士の多くは普通の人に比べて遥かに体力と運動能力が劣る。
どんなに体を鍛えても、身体能力はけして伸びない。
 思い通りにならない四肢に、ディオンは舌打ちを漏らした。
「ディオンをいじめないでよ」
「いじめてませんよ」
 開け放たれた窓。いつの間にか、窓枠に魔師が腰を掛けていた。
 その手にはかじりかけのパンが握られている。棚に入っていたパンであることを銃師は知っていた。
銃師と剣師の会話を聞いていたのだろう。
魔術を使えば、目に見えないものを見、聞こえないものを聞くことは可能である。
 二人も、魔師に聞こえていることが前提で会話していた。
「ディオン、このパン固い」
「ミルクでも浸して食べろよ」
 剣師の手を借りて姿勢を持ち直した銃師は、手短な椅子に腰を掛ける。
 ミルク嫌い、と返しつつ、階下から持ってきたらしい濡れタオルを手渡す。魔師にしては珍しい気遣いに、剣師は目を瞬かせた。
汚れた手を拭きとり、銃師は忌々しげに己の手を睨む。もっとも熱い視線を向けたところで、己の体力がどうにかなるわけではないのは分かっている。
 魔師は、興味深げに室内を見渡していた。最初に足を踏み入れた時に、比べると随分とさっぱり片付いている。
 最初から物置として使われていたわけではないのか、壁には大きな絵が飾られていた。
 描かれているのは、銀紫の髪をした美しい女性だった。
長く伸ばされた髪は床にまで広がっている。とがった耳に、鋭く伸びた爪。色あせても失せることのない柔らかな笑顔浮かべていた。
一般的なノーマン人ではないことは明らかだった。
 魔師の視線に気が付いて、剣師が顔をあげる。
「ヴァニカ族の女性ですね」
「ヴァニカ族?」
「ご存じないですか? 生きる楽器と呼ばれる種族ですよ」
 有名な種族なんですけどね、という剣師の言葉に、興味ないからとつまらなそうに魔師は返す。
「それにしても、ヴァニカ族の肖像画がどうしてこんなところに」
 剣師の疑問に、銃師は記憶をたどる。
「確か、大叔父の音楽の先生だった人の肖像画だったはずだ。もともと、この離れは大叔父が使っていたから、そのままになっているんだろう」
 ブクリエーム王国に住んでいるのはノーマン族とそれに属する種族が大半だ。大叔父は音楽の教師として、わざわざ他国からヴァニカ族を呼び寄せたのだ。
「さすがは公爵家ですね。やることが半端ない」
「全くだ」
 剣師の嫌味に、銃師は同意する。
 二人の会話に興味をなくした魔師は、室内をふらふらと歩きまわっていた。
 さ迷った視線は、棚に立てかけられていた物体に向かう。細長い固い変な形のケース。
 魔師はケースを手に取ると、留め金を外して中を覗き込む。
 中に入っていたのは滑らかな加工が施された縦長の木の箱のようなものだった。
しかし、箱にしては物を入れるらしき穴は丸く、その穴の上を渡すように糸が張られている。
魔師はそれを抱えると、ヴァニカ族について協議している二人の元へと歩み寄る。
「ディオン、カラム、これなーに?」
 差し出されたものを、銃師は反射的に受け取った。
「ヴァイオリンですね」
 しげしげと剣師が横から眺める。
 魔師が見つけてきたのは、ヴァイオリンだった。
 おそらくは、大叔父が使っていたものだろう。ケースは埃を被っていたが、中は綺麗なままだった。
 少し考え込んだあと、銃師はヴァイオリンに手を伸ばした。
 椅子から立ち上がり、箱から弓を取り出すとヴァイオリンを構える。
 何をするのかと、期待を込めた眼差しで、魔師が銃師を見つめていた。
 弓が引かれる。柔らかい音色が生まれた。
 空気が振動し、見えない波を生み出す。
 紡がれるメロディが高く響き、銃師は満足げに頷くと、弓を弦から放した。
「手入れすれば、大丈夫そうだな」
 ヴァイオリンの表面を優しく撫でて、銃師は微笑んだ。
「貴方、楽器を弾けたんですね」
「必須みたいなもんだからな」
 苦笑いを浮かべて首を竦める。
 上流階級に生まれたからには、それに相応しい教養を身に付けなければならない。当然、楽器の扱いも一通り学んでいるのだろう。
「何か弾いてよ」
 きらきらと目を輝かせて、魔師が強請る。
 乞われるがまま、銃師は再度、ヴァイオリンを構えた。
 音が生まれる。メロディが躍る。
 剣師と魔師は、黙って耳を傾けた。
 埃臭い部屋で生まれた響きは、さわやかな風に流されていく。
 跳ねるような、輝くような戦慄。手堅い音は銃師らしい。
不意に音が途切れた。窄まるように音が消える。
「一曲まともに弾くこともできないんですか」
 呆れよりも、憐れみを混ぜて剣師は言えば、銃師はふてくされたように、ヴァイオリンを箱に戻した。
 腕が痺れて鈍痛を感じている。疲労に弱い体は、この程度のことで悲鳴を上げる。
 指摘されるまでもなく、音楽を奏でるだけの体力さえないことに、一番嘆いているのは銃師自身だ。
 それが、魔銃師の力の対価であることは理解している。だからといって、それを簡単に受け入れられるほど、銃師は年を食っていない。
「今の曲、なんていうの?」
 箱に仕舞われたヴァイオリンを物珍しそうに突っつきながら、魔師が問いかける。
「フェルティのレトワールだ」
 有名な曲だと言われても、世間に疎い魔師は首を傾げるだけだ。
「それよりもさ」
 早くもヴァイオリンから興味を失ったのだろう。
 魔師は銃師の服の裾を掴む。
「お腹すいた」
「ライオネル、お前そればっかだな」
 銃師と剣師は顔を見合わせて小さく笑った。
「私もお腹が空きました」
「じゃあ、ひとまず、飯にするか」
 作りかけの鍋の中身を思い出して、簡単に作れるメニューを考える。
 掃除はまだ終わっていないが、休憩を入れるにはタイミングが良い。
「食い終わったら手伝えよ」
「嫌」
「お断りします」
 迷いなく返る言葉。銃師は脱力する。
 彼らが非協力的なのは今に始まったことではない。
「早く早く」
 部屋の中に力なく立ち尽くす銃師を部屋の外から魔師が急かす。
 銃師は背後を振り返った。ヴァイオリンが所在なさ気に椅子の上に置かれている。
 壁に掛けられたヴァニカ族の女性像は優しい笑みを浮かべたままだ。
 吹き込んだ風が頬を撫でる。
 階下から響く魔師の声。
「今行く」
 銃師は部屋を出る。
 ヴァイオリンの音が消えた部屋で、肖像画の女性が静かに微笑んでいた。



【平穏は『盾』が奏でるとのこと】

2011.08.21執筆