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短編小説
ルチフェル


ルチフェル

 月が凍えていた。否、月は凍えたりしないから、正確にいうのならば、凍えていたのは思考だったのかもしれない。
 考え直してそれも違うと感じる。思考は凍えるというのもありえない。そもそも「凍える」というのは、寒さゆえに身体の感覚を失うことであって、無機物である月や、形を持たない思考という抽象的なものが凍えることはありえない。
 だから、この場合、「凍える」という表現は正しくないのだ。
 暗闇の中、白い光が浮かび上がっていた。綺麗な円に見えるそれは「月」であり、手の届く先よりもほんの少し遠いところにあるように見えて、実際にはずっと遠い宙(そら)にある。
 宙に行くのは、舟かエレベーターを使わなければならないが、それを使えるだけの金品を個人的に持ち合わせていない。
 それ以前に、「私」一人では、舟にもエレベーターにも乗ることは許されないだろう。
「マスター」
「んー」
 呼びかけに、先ほどから聞こえていた鼻歌が止まり、気の抜けた返事が響く。
「マスターは、どうして宙に帰らないんですか?」
 デニファも、ユーギも、カルンも、宙に帰ったのに。どうして、宙に戻らないのか。どうして地上に留まるのか。
「なんだ、戻りたいのか?」
「…………」
「戻りたいなら、お前一人で戻れるように手配するが」
 鼻歌の延長のように、紡がれた言葉。驚いて振り返れば、彼は鍋の蓋を開けて中を覗きこんでいるところだった。
 白い湯気が空に昇り、彼の眼鏡を曇らせる。
「おぉ。いい感じに煮えてるな」
「マスターっ! 私は……」
「食事にしよう」
 焦って張り上げた声は遮られる。
 彼は、鍋の中身をお椀に注ぐ。湯気はお椀にも移されて、彼の曇った眼鏡をさらに白く染めた。
「今日は冷えるからな。ほら、お前も」
「…………」
 招く声に、よろよろと歩み寄る。
「いらない、っていうなよ。この寒さじゃオイルも固まる。温かいものを腹に入れとけば、多少はマシだろうよ」
 差し出されたお椀は白い煙を吐いていて、とても温かだった。
「生憎ですが、潤滑油を使用しているのは私より二世代前までですよ」
「そうだっけな?」
 分かっているくせに、わざと言う彼に思わず辛辣な口調になる。それさえも、軽く受け流して彼はさっさと自分の分のお椀に口をつける。
「マスター」
「冷める。早く食えよ」
 流し込むように椀の中身を咀嚼する彼の横顔を眺めて、溜息をつく。
 食事の最中は無駄口を叩かない。彼が私に求めた数少ない命令の一つだ。
 私もまた椀の中身を口の中に注ぐ。丹念に咀嚼し、なるべく具の形が残らないようにする。そうしたほうが、エネルギーへの変換が早く行われる。
 味覚というものは存在しないが、「味」を検知することはできる。適当を信条にする彼らしく、見事な大味だ。もっとも、これくらい寒ければ、食事も暖を優先せざるを得ない。ただでさえ、物資は限られているのだから、無駄に味付けをする必要はないのだろう。
 私がお椀を空にする頃には、彼は三杯目を注ぐところだった。湯気が彼の顔を遮り、靄の向こうに隠す。
「おかわりは?」
 私の視線に気付いて尋ねてくる。
「いえ、私は……」
「そうか」
 自分の分だけ注ぎ、鍋の蓋を閉じて、椅子代わりにしている鉄材の上に座る。
 私はお椀を置き、宙を見上げた。
 月はさきほどと変わらぬ位置で、変わらぬ輝きを見せている。
 まるで、凍えているよう。冷え切った大気の中に浮かぶ月は、寒さに凍えているのだ。
 思わず、私は笑った。いつの間に、こんな幻想的な考えができるようになったのだろうか。月は無機物、寒さを感じない。大気は重力圏にあって、月がそれに触れることはない。だから、月は凍えない。凍えるという概念は存在しない。
 私は声に出さず、何度も言い聞かす。そう、私に「凍える」という概念がないように。
「ルチフェル」
「はい」
 呼ばれて反射的に応える。
 いつの間にか、三杯目のお椀の中身を片付けた彼が私を見つめていた。
「……明けの明星」
 彼は歌うように呟いた。
「分かるか?」
「・・・・・・はい、E-Sec惑星、Venusのことですね。はるか昔、地上の一部地域でそう呼ばれていたとデータベースに記録されています」
「意外と古いデータも扱っているんだな。……この星と同じように形成された惑星である可能性が非常に高いといわれるが、人間が生きるのは不可能な環境だ」
「昔はそうかもしれませんが、現在はコロニーが174基あります」
 古い地上の言葉で「金星」と呼ばれるその星には、研究区の他に住居区もある。昨今の技術では、地表さえあればどこにでもコロニーを造ることが可能だ。研究者である彼がそんなことすら知らないとは思えない。私を試すつもりなのだろうか。
「ルチフェル……コロニーがなければ、人間が生きるのは不可能だろう? 今現在、把握されている惑星でコロニーなしで人間が生きられる星はどこだと思う?」
「マスター。それは分からなくって尋ねているのですか? それとも……」
「単なる確認だよ」
 彼は軽く首を竦める。楽しげに歪められた口元。厚手の防護の用外套が風に煽られ揺れる。
 目線で問いの答えを求められているのを感じて、私は仕方なしに口を開いた。彼が意味のない言葉遊びを好むのは今に始まったことではないから。
「今現在、確認されているコロニー無しで人間が生存できる惑星はただ一つ。E惑星……Earth。つまり、今、私たちがいるこの惑星であるということです」
「その通りだ」
 正解だと彼は笑う。馬鹿にされているように感じて私は眉を潜めた。
「それで、それが何なんですか?」
「ルチフェル」
「はい」
「ルチフェル」
「はい」
「ルチフェル」
「……マスター」
 馬鹿の一つ覚えのように繰り返される私の名に、思わず睨みを向けるが、
「明けの明星だよ」
「はい?」
「ルチフェルは明けの明星っていう意味だ」
 彼は指先が冷えたらしく、手袋を手にはめる。私は暫く唖然と彼を見つめていた。
「別名、ルシファーとも言うらしいが」
「それって、悪魔の名前じゃなかったですか」
「ご名答! それもデータベースか?」
「いえ、以前のマスターが信仰深い方で……」
 言ってから、しまったと思う。過去の主人の話はタブーだ。新しい主人が、過去の主人と、比較されているのではないかと疑心を抱かせる可能性がある言動は控えなければならないというのに。私はおずおずと彼を見つめた。
 予想に反して彼は穏やかな表情を浮かべていた。
「そんな名をつけられた星にとっちゃ、良い迷惑だろうな。空が白むあの一時、日の光と月が同じ空を共有する僅かな時間。明けの明星は白い姿を見せる」
「……見たことがあるんですか?」
「俺が一体、何度、地上に降りてると思うんだ?」
 呆れたように言われて、再びの失言に私は口を閉ざす。
 どうしてだろう。この主人の前だと「私」になれない。「私」はこんな単純なミスはしない。完璧で完全。完成された「守護者」のはずなのに。
「さて、俺は寝る。六時間経ったら起こしてくれ」
 立ち上がり、簡易シェルターの方へと歩き出す。
「六時間後ですか。まだ夜は明けてませんよ」
 まさか、日の昇らない時間に行動を起こすつもりではあるまい。彼は口元を緩めて、
「……わかってるさ。いいか、六時間後だぞ」
 念を押して告げると、彼は簡易シェルターの中に姿を消す。
 中途半端に放り出された気分で、私はしばらくシェルターの方を見つめていた。それから、お椀と鍋を片付けることにする。
 私は「彼」が分からない。今まで仕えてきた主人たちとは全く違う。
 今までの主人は、どの方も非常に裕福で身分の高い方ばかりだった。シェルターの上階層に住み、そこから出ることのない生活を送っていた。
 私は主人の手足であり、守護者だった。ありとあらゆる危険から守り、ありとあらゆる望みを叶える万能な人形。
 鍋をクリーニングしながら、私は溜息を漏らす。
 私は完璧な人形であり、物だった。役目がなくなり、廃棄処分になったことを恨んではいない。それが、当たり前だ。不用品は捨てるに限る。
 そんな私を「面白そうだから」という理由で買い取った今のマスター。
 今までの主人とは全く違う彼は、私をシェルターの外へと連れ出した。否、彼はシェルターの外で仕事をする人間だった。
「……ルチフェル」
 舌の上で音を転がす。名付けたのは彼だ。今までの主人は私に名前など付けなかった。それが普通だった。なのに、彼は私に名前を与え、食事を与え、生き物のように扱う。
 私は視線を落とす。そこにあるのは、先ほどまで鍋を温めていた装置。スイッチを入れると火がつく仕組みになっているが、私はこれを扱えない。
 そもそも、火を使って調理をすることなど、普通はありえない。
 普通でない生活をしているのが彼だった。そして、私は普通でしか役に立たない。
「私は、なんのためにここにいるのでしょうか?」
 小さく問いかける。それに返る言葉はない。
 周囲を見回す。闇が視界を覆っているが、暗闇でも見通せる高機能レンズのおかげで、私は暗闇でも見ることができる。
 荒れ果てた大地。人間の発展の代償に、荒れた星。この星に住んでいる人間は僅かしかいない。
 気候の変化が激しい地上よりも、常に安定した空間を保つシェルターの方が生活がしやすい。
「私も休止モードに入りましょうか」
 無駄にエネルギーを消費するわけにはいかない。なんの役にも立たない私が、これ以上、彼の負担になってはいけない。
 私はシェルターの前に座り込むと瞼を閉じた。

*

「起きてください、マスター」
 六時間後きっかり。私は簡易シェルターの入り口から声をかけた。
 もぞもぞと動く気配がして、彼が顔を覗かせる。
「おはよう、ルチフェル」
「おはようございます。……とはいっても、まだ日の出前ですが」
「だから、良いのさ」
 彼は素早く身支度を整えると、シェルターから出てくる。一体なにがいいのか、さっぱりわからない。
 分厚い防寒着を纏った彼は手元にライトを寄せると、にやり、と笑い。
「行くぞ」
「どこにですか?」
「それはついてからのお楽しみだ」
 喜々として告げて、さっさと歩き出してしまう。行くぞ、と言われた以上、ついていかないわけにはいかない。
 それ以前に、守護者としての役目を考えれば、傍に付き添うべきだ。
 私は彼のあとを追う。
 暗闇の中、手元のライトだけを頼りに彼は進む。私と違って暗闇を見通すことができないのに、そんなちっぽけ灯りだけで、行き先を判断できるのだろうか。
 私の不安など他所に、彼は黙々と歩を進める。迷いのない足取りに、彼が何度もこの道を往復しているであろうことを知る。
「うわぁっ!」
 強い風が正面からぶちあたり、足場の悪さに私はバランスを崩す。
「気をつけろよ」
 腕を引かれ傾きかけた体が引き戻される。危ういところで、彼の手に救われて、私はガラクタの上に無様に転ぶのを免れた。
「す、すいません」
「この先、さらに足場が悪くなっているからな」
 足を踏み鳴らして彼は言う。
 私は口を閉ざすしかない。私よりも彼の方が暗闇を見ることができないのに。私は彼の助けになるどころか助けられてしまっている。これでは、全く逆だ。
 廃棄物の山の上。足元は不安定で、汚水が靴を濡らす。冷えた空気は尖った針のように防寒着を刺す。
 昼間は昼間で灼熱の日差しが襲い、廃棄物からのガスが噴出すのだから、この地上は質が悪い。
 一時間ほど暗闇の中を歩き続けた。空の端が徐々に白み、夜が明けようとする。
「着いたぞ」
「…………」
 私は周囲を見渡した。特に目ぼしいものは見当たらない。廃棄物の丘を登ってきたためか、シェルターのある場所よりも弱冠視界が開けている程度で、変わったものはない。
「今日は比較的、空気が澄んでるからな」
 視線を向ける私を気にも留めず、彼は宙(そら)を窺う。そして、
「あった」
「えっ」
 彼は宙の一点を指差す。
「裸眼じゃ、ぼやけちまうが……お前だったらはっきり見えるだろう?」
 私は指差す先を見つめる。そこにあったのは――。
「E-Sec惑星」
 日の光に染まり始めた空の端。地平線の僅か上に輝く小さな光。
「あれが、明けの明星……ルチフェルだ」
 太陽の光に包まれるように、強く輝く星。私は唖然とそれを眺めていた。
「本当は、もっと早く見せてやりたかったんだが……星の位置が悪くってな。今日見せられて良かった」
 安堵と歓喜を交えて彼は呟く。
 その言葉に私は「まさか」と思った。
「マスター。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「あぁ、なんだ?」
「マスターが皆様と宙に帰れなかったのは……」
 一通り調査を終え、データは集め終えたのに地上に残った理由は――。
「お前に見せてやろうと思ってな」
 上手いこと大気が晴れて良かったと、彼は満面の笑みで笑った。
 私は肩を震わせた。そんなことのために。
「ば……」
「ば?」
「馬鹿ですか!? 信じられません。常識っていうものがないんですか? 私は機械ですよ、道具ですよ? そんなものに星を見せるためだけに地上に残ったっていうんですか!」
 彼に詰め寄り、私は叫んだ。その剣幕にたじろぐこともなく、彼はへらへら笑いながら少し距離をとると、
「酷いなぁ。こう見えて、俺はIQ高いって言われてんだぜ」
「知りませよ、そんなこと!」
 一人地上に残り、毎日大気の計測と宙の観察をしていたのは、金星が良く見える日を探っていたから。
 私に明けの明星を見せる。それだけのために、危険な地上に身を置いた。
「まぁ、まぁ、怒るなって」
「……怒るに決まっているでしょう。私はマスターを危険にさらすために一緒にいるのではないんですから」
 守護者として、主人を守るのが役目だというのに、私のためにマスターを危険に追いやっては存在意義が危うくなる。
「別に俺はお前に守ってもらおうなんざ、思ってねーぜ?」
「えっ?」
「地上のことは誰よりもわかっているつもりだしな。本当にやばいことになったら、お前じゃ対処できねーだろう? だから、別にお前にそれは期待していない」
 はっきりと、刺す様に。吐き出されたものは鋭く重かった。
 いつもと同じ軽口と同じ温度で告げられる言葉。いつもと同じだからこそ、冗談ではなく本気でそう思っているのだとわかった。
「おっ! 日が出てきたな」
 あっという間に太陽が顔を覗かせ、その強い光で金星を隠してしまう。まるで、最初からそんな星などなかったとでもいうように。
 それがまるで、私自身のことのようで、私はただ俯くことしかできなかった。
「さぁ、日が上がる前に戻るぞ。マスクもってきてねぇし、ガスが吹き出たらイチコロだ」
 彼は軽い足取りで瓦礫の山を下っていく。
 私はその背を見つめる。そこから、動くことなく遠くなっていく彼の背を見つめる。
 追ってこないことに気がついたのか、彼が振り返った。
「どうした?」
「…………」
「早く戻るぞ」
 指先で来いと合図する。だけど、私はそこから動かなかった。
「ルチフェル?」
 彼が不思議そうに目を瞬くのが見えた。行かなければならない。マスターが来いといっているのだ。従わなければならない。
 それなのに、私の足はまるで凍り付いてしまったかのように動かなかった。
「どうかしたのか?」
 彼が一歩、私に近付いた。そのときだった。
 ぐらり、と足元が揺れた。正確には地表が揺れた。はっとしたときには、目の前の大地に大きな亀裂が走っていた。
 噴出す鉛色のガス。
 ガスが視界を覆い、彼の姿を掻き消す。私の全てのセンサーが異常値を示し、ここからの退避を促す。
 私は咄嗟に後退ろうとしたが、足元がまた揺れた。
「あっ」
 足元が崩れ、私は反対側の斜面へ転がり落ちた。
 最後に見えたのは淀んだ空と眩い太陽。
 ――彼の叫びが聞こえた気がした。

*

 ――――
 ――データロード中
 ――エラーチェック中
 ――システム起動可
 ――再起動開始


 ノイズが酷い。正常な機能を取り戻すのに随分と時間が掛かった。
 視界が最初にとらえたのは、古ぼけたシェルターの天井だった。 
 自分の置かれている状況がすぐに理解できなかった。
「マスターっ!」
 はっとして、私は勢い良く上半身を起こした。途端に、エラーが走る。身体の損傷レベルが報告されるが、それに構っている場合ではない。
 何より先に、マスターの無事を確認しなければ。
「こらっ! 動くんじゃねぇ」
「えっ?」
 ぽかり、と頭を叩かれて振り返る。
 シェルターの床に直接広げられた機材。無数のコードが私のコネクタに繋がれていたことに今更気がついた。
 そして、その機材を動かしていたのは、彼だった。
「ほら、さっさと横になれ」
 肩を強引に押され、私は仰向けになる。
 跳ねるようにパネルを彼の指が叩く。私はじっとその音を聴く。
 理解が追いついていなかったが、少なくとも彼が無事であるのは確かなようだった。
 彼は暫く無言でパネルを操作していた。何をしているのかは、言われなくっても分かっていた。
 衝撃を受けてシステムダウンした私の修正を行っているのだ。
 ノイズが取り除かれ、エラーが修正されていく。私のようなものを扱うのは専門外だろうに、彼の指先に迷いはない。
「んー、これでたぶん大丈夫だと思うが。念のため、上に戻ったらメンテしたほうがいいな」
 彼は私と機材を繋ぐコードを外し、起き上がるように合図する。ゆっくりと体を起こしてみるが、今度はエラーは出なかった。
「とりあえず、大丈夫そうだな。上へは……えっと……三時間後に迎えが来るように手配してある」
 時計を見やって彼は言う。彼は私の頭を力強く撫でて、
「全く、災難だったな。たぶん、地中にガスが溜まってたんだろうな。検知機を持っていけば良かったんだが」
「マスターは、お怪我は?」
「見てのとーり。お前を運ぶ時に、こけて手の平を擦り剥いたくらいだ」
 手袋を外した手を見せ付けて笑う。私は申し訳なさと恥ずかしさで、唇を噛み締めた。
「すいません」
 その言葉を搾り出すだけで精一杯だった。本当に、なんて役立たず。主人を守るどころか、逆に助けられるなんて。
 守護者として失格どころの話ではない。これでは、存在意義のないただのガラクタと同じだ。
「謝ることじゃないだろう。俺こそ悪かったな。安全確認をするのは当然だったのに」
「マスターは悪くありません。私は、私は守護者なのに、マスターを守るどころか、足手纏いになってしまって」
 守護者として作られた以上、マスターを守るのが使命であるのに。マスターが私に守る必要がないといった意味が分かる。私には彼を守るだけの力がない。
「マスター。宙に戻ったら、私を廃棄処分にしてください。役に立たない機械など燃料を消耗するだけのガラクタです」
 ただのガラクタの方が余程負担が少ないですが、と自虐的に呟く。
 私は拳を握り、息を細める。
 彼が溜息をつく気配がした。次に吐かれる言葉が怖かった。
「ルチフェル、顔をあげろ」
 命じられ、私は言われるがまま、顔をあげた。彼と目があった。
「お前が地上で役に立たないくらい承知の上だ。お前はボディーガード用の機械であって、地上には向いていない」
「…………」
「さっきも言ったけどな。俺は別にお前に守ってもらおう何て思ってないんだ」
「なら、どうして」
 どうして、地上に連れて来たりしたのか。単に珍しくって手に入れただけならば、宙に置き去りにしておけばいい。
 連れて行けばその分余分に燃料が増える。足手纏いにしかならないものをどうして――。
「俺は変わり者だろう?」
「えっ……あっ、その……」
 ここで頷くのは問題がある気がして私は口ごもるが、彼は気にせず続ける。
「他の研究者より、シェルターの外で過ごす時間は遥かに長い。今まで何人か助手がついたこともあったが、誰も彼も長期のシェルター外での生活に耐え切れずやめていった」
 安全なシェルターの中よりも外の世界を愛する彼は、ほとんどの時間を外での研究に費やす。その実績は確かに認められているものの、それについてこようとするものは皆無と言える。
 だから、と彼は言った。いつなく真剣な眼差しを向けて。
「俺は変わり者だが、普通の人間だ。長時間一人でいるのは結構堪える。人間って言うのはもともと群れて生きているもんだからな。孤独っていうのに弱いのさ」
 おどけたように肩を竦ませ、彼は少し困ったように笑った。
「おまえ自身は畑違いでさぞかし迷惑だろうが、俺にとっては話し相手がいるっていうだけでかなり救われているんだ。返事があるっていうのは案外嬉しいもんでね。でも、お前はシェルターの中の方が良いみたいだが」
「それは……」
「無理に連れて来て悪かったな。次からは、お前は上に残っていると良い。家の留守を任せる」
 彼は私の肩を軽く叩き、それから上に戻るための荷造りを始める。
 孤独、と彼は言った。機械である私は孤独を知らない。一人が寂しいと思う感情がない。私は機械だからそれが当然だ。
 だけど、彼は機械ではない。少々変わってはいるが、一人を寂しいと思う人間なのだ。
 彼は孤独が辛かった。好きなことをしているとはいえ、一人であることが苦しかった。
 その苦しみを取り除くために、彼は私を――。
「マスター」
「んっ?」
「私が一緒でご迷惑ではありませんか」
 少し驚いたような表情を浮かべて、彼が振り返る。
「私は正直、何もできません。ここでは、何一つお役に立てることがないのです。それでも」
 それでも、迷惑ではないといえますか。お手を煩わしていないといえますか。
 彼は目を瞬いた後、頬を掻いた。
「何度も言うけどな。お前に役に立ってもらおうなんざ思ってない。お前は俺の話し相手であることに意味があるんだからな」
「……なら、私はマスターと一緒にいます。それが、私の存在理由ですから」
 私なんかが傍にいることで彼の孤独が癒されると言うならば、いらないと言われるまで傍にあり続けよう。
「そうか」
 彼は一言そういって、再び荷造りを再開する。彼の口元が緩んでいることに私は気がついた。
 再起動した影響か、胸部の辺りがじんわりと熱を持つ。その心地良さに、私は瞼を閉じた。

*

 月が凍えていた。青白く冷ややかに天上に浮かんでいた。
 私はじっと宙を眺めていた。地表の端に輝く小さな星。明けの明星と歌われ、女神と悪魔の名を冠された星。
 やがて、暗い宙の端から光が差し始める。地平線から姿を現した太陽が宙を染めていく。
 金星もまた太陽に染まり宙に溶けていく。空と一つになっていく。
 月が太陽の淡い光に包まれていくのを昇降機に乗りながら私はみていた。
 優しい色に抱かれた月はもう凍えてなどいなかった。
 私は大きく息を吸い込んだ。
「ルチフェル、行くぞ」
「はい」
 私は外から視線を外し、彼のもとへと向かう。
 私は何の役にも立たない守護者。彼を守ることも、彼に温かな食事を用意することもできない。
 だけど、私は彼の傍にいる。役立たずであろうとも、彼の傍にあることに決めた。
「マスター、次はどこへ行くんですか」
「次は――」
 喜々として告げる彼を私は追った。

 
<FIN>





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