Murder Double Reunion

[ 殺人兄弟の再開 V ]






 
 タオルは見つからなかった。
 諦めて不死人は部屋に戻ることにした。
 この建物は、博士のラボに併設されている。博士が帝都にいる時は自宅として使用している建物だ。
 シンプルな内装。無駄な物は一切置かれていない。それは、博士がここを出入りすることが稀なためか、それとも博士自身の意思なのか。
 不死人には量りかねないことだ。
 博士がいる部屋の扉のノブに手を掛ける。
 すぐ横にはキッチンへと続く扉がある。
 その中から響く銃声。
 最初の騒ぎからすでに五分は経っている。
 それなのに、まだネズミを仕留められていないらしい。
「調子悪いのか?」
 あの助手がこんなにも手こずるとは珍しいこともあるものだ。
 一体、どんなネズミが忍び込んでいるやら。
 好奇心というよりも、情報屋としての性だった。
 身体を反転させ、キッチンへと続く扉のノブに手を出す。
 助手を助けるつもりはない。
 ただ、そこまであの助手を手こずらせる相手の顔を確かめたかっただけ。それだけだった。
 それだけだったはずだ。

 開かれた扉。床には割れた食器が散乱し、壁や天井には銃痕が窺えた。
 壊れた棚のドアが宙ぶらりんになって垂れ下がっている。
 キッチンは元の形状が分からない程度に破壊されていた。
 その中央に助手がいた。傷を負ったのか、左手から赤い雫を垂らしていた。
 あの助手も人並みに血を流すのか、と不死人が感心していられたのは、そこまでだった。
 助手の肩越しに見えたその姿。教授が送り込んできたネズミ。
 記憶の中のものとは色が変わっていたが、すぐに分かった。
 心臓が不快な音を奏でる。無意識の所作だった。
 服の間から取り出したのは、銀の銃身。
 抜き去ると同時に相手を捕捉。引き金を引いた。
 躊躇いなどなかった。躊躇う間すら感じなかった。
 本能が、それを殺せと叫んだ。
 放たれた銃弾は狙いを外れることなく。それの心臓を打ちぬいた。
 打たれたそれは、崩れ落ちるように床に身を倒す――こともなく、不思議そうに自分の胸を見て、それから、不死人を見た。

 二つの視線が交わる。

 教授が送り込んだネズミ――ミルクティーブラウンの髪にエメラルドクリーンの目をした少年――ザリオス・フォーガスは唖然として不死人に視線を送っていた。

 不死人の情報屋――枯れ草色の金髪に縹色の瞳をした青年――アンディ・フランクは険しい目でネズミを睨んでいた。

 間があったのは、ほんの一瞬だった。
 仕掛けたのはアンディだった。
 再び、銃身を構えると引き金を引く。
「くっ!」
 二発が被弾し、ザリオスは転がるようにして照準から外れる。
 アンディは後を追うように弾を放つが、俊敏な動きでザリオスはそれを躱す。
 距離が詰まる。
 弾が切れた銃を放り出し、アンディはナイフを取り出すが、その前にアンディの傍までザリオスは迫る。
 手にしていたのは鈍く光る、クナイと呼ばれる万能ナイフだ。
 赤い血飛沫が散ることはなかった。
 頚動脈を切られたはずだというのに、ただ切り傷が出来ただけで、一滴の血も流れ出さない。
 切られた衝撃で、アンディは足元をよろめかせる。
 ザリオスはクナイをアンディの心臓に打ち込もうとするが、アンディは手にしていたナイフでそれを受け止める。
 すでに首の傷は塞がっている。
「……こ、の野郎」
 搾り出すような声がアンディの口から漏れた。
 その瞳の奥に燃え上がるのは、純粋な憎悪。
 それを読み取ってザリオスは口元を歪めた。
「兄に向かって、この野郎とは、口汚くなったものだ」
「誰が、兄だっ!」
 叫ぶのと同時に、ナイフを押し出す。
 ザリオスはアンディから飛び離れる。
「兄だろう? ボクの方が先に生まれた」
 構えたクナイ。
 それをザリオスはアンディに向けて放つ。
 アンディは足元に転がっていたトレーを盾にそれを避ける。
「双子に、兄も、糞もあるかっ!」
「あるだろう。現に、あの人たちはそう分別していたはずだ」
 あの人――その言葉を吐き出す時、ザリオスの表情が僅かに歪む。
 アンディは転がっていた瓶を手にするとそれをザリオスに向けて投げる。
 ガラスが粉砕する音が響き渡る。
 それはあっさりと避けられてしまうが、アンディとて当たるとは思っていない。
 手にしていたトレーを投げつけつつ、距離を縮める。手にしていたナイフを煌かせる。
 ザリオスは後ろに下がりながら、クナイを次々と投げつける。
 幾つかのクナイはアンディの肩や胸、足に刺さる。
 痛みを感じない身体は、こういうときに便利だ。
 アンディは止まることなく、ザリオスに迫った。
 ナイフの切っ先が、ザリオスの胸に突き刺さるがそれだけだった。
 だが、アンディのときとは違い、傷口からドロリとした黄色い液体が漏れ出す。
 アンディはナイフを引き抜きながら、ザリオスから離れた。
 嫌な匂いがキッチンに満ちる。何かが腐るような匂い。
 それはザリオスの体から発せられているようで。
 ザリオスは眉を顰めた。
「よくも……折角見つけた胴体なんだぞ」
 愛おしげに自分の身体を撫でながら、ザリオスは言う。
 アンディは嫌悪感を隠そうともしなかった。
 軽蔑するような目で、ザリオスを見ていた。
「中身腐ってやがんのか。これだから生死体(ゾンビ)は……」
「不死人(アンデット)に言われたくない」
 十五、六の少年と、二十五、六の青年が、双子の兄弟が敵意を剥き出して睨みあう。
 互いに互いの隙を狙い、その首を打ち切る機会を窺う。
「アンディ、お前に兄がいたとは初耳だな」
 割り入って来たのは、鈴を転がすような美しい声。
 振り返らなくても誰だか分かった。
 博士は、扉のところに寄り掛かりながら、キッチンの惨状に目をやる。
「しかも、兄弟して同じとは」
『同じじゃないっ!』
 博士の言葉に、アンディとザリオスの声が揃う。
「死にながら生きている変態とは」
「死んでるくせに死体じゃない変人とは」
『違うんだっ!』
 意味は違えど、言葉が重なる。
 博士は目を瞬かせた。
「違いが分からんな」
『全然、違うからっ!』
 重なる声に、口を閉ざしたのはどちらが先か。

 不死人と生死体。

 その違いは明確であり、曖昧。だからこそ、両者はけして交じ合うことはない。
「それにしても、教授が寄越したネズミが生死体だとはな。ジェイソンでも手こずるはずだ」
 助手は博士の傍らにより、頭を下げる。
 銃弾を打ち込んでも死にはしない相手を退治するのは不可能だ。
 生死体はすでに死んでいる。死んでいるものを殺すことは出来ない。
「兄弟喧嘩なら余所でやってくれないか」
「そうはいかないよ」
 答えたのはザリオスだった。口端を吊り上げる。
「Drウイユの助手を殺せって依頼だからね」


『私のウイユ――の助手を殺せ』


 それが、教授が生死体の殺し屋に依頼した内容だった。
「なるほどな。ジェイソンが殺されれば、私から教授のもとに行くと、そう考えたのか」
 怒るどころか、納得したように博士は頷く。
 教授にしては、考えたものだと感心したように呟いた。
「だが、私とてジェイソンを殺されては困るからな。教授にはそのうち気が向いたら会いに行くと伝えておいてくれ」
 おそらく、気が向くことは一生ないだろうが。
「Drウイユが教授に会いに行こうが行かないが関係ない。ボクは依頼を遂行するだけさ」
 殺せ、と言われたから殺す。事情なんて知らない。依頼されたからそうするだけ。
「でも、さすがに三対一じゃ分が悪いかな」
 じりり、と後ろに下がる。
 博士が加わった以上、勝てる見込みはない。
 一方で、アンディはそろりと腕を動かす。握ったのは長い鉄の棒。先がひしゃげて、尖った切っ先が露わになっている。
 皮膚が触れれば切れてしまうだろう。
 それを掴み引き寄せる。
「だから、今日は撤退することにするよ」
 博士と会話しているザリオスは、アンディの行動に気付いていなかった。だから反応が遅れた。
 ギシリ、と床が悲鳴を上げた。
「アァァァァァァァアアアアッ!」
 叫び声がその口から放たれる。
 ザリオスの目に飛び込んでいたのは、鉄の棒を振りかざすアンディの姿。
 記憶がフラッシュバックする。



 あ、か、い、血、さ、け、び、声、ふ、り、お、ろ、さ、れ、る、斧。
 お、な、じ、顔、お、な、じ、声、も、う、ひ、と、り、の、自、分。



「ザリオスっ!」
 ああ、そうか。ザリオスは心の中で呟く。

 あのとき、呼ばれたのは――自分の名前だ。
 あのとき、死んだのは――ザリオスだ。


 ゴキリ、と骨が折れる音がした。
 ザリオスの頭は胴から離れて、床に落ちた。





 肩が大きく上下する。
 アンディは荒い息を吐きながら、床に転がったそれに冷ややかな目を向けていた。
 首が切断された生死体。
 切られたところから、ドロリとした黄色い液体が漏れ出している。鼻につくのは強烈な腐臭だ。
「……酷いなぁ。何度、実の兄を殺せば気が済むんだい」
 ゴロリ、と生首が転がる。
 ザリオスは自分の胴に視線をやり、それからアンディを見上げた。
 アンディはそれには答えず、再び鉄の棒を構えると、ザリオスの生首に向かって振り上げる。
「……待て、アンディ」
 止めたのは意外にも博士だった。
 アンディはその制止の声を無視した。聞こえていなかったのかもしれない。
 振り上げた棒を一直線に生首に向けて下ろす。躊躇いなどない。
 ザリオスに避ける術はなかった。
 しかし、このとき、天はザリオスの味方をしたようだった。
「待て、と言っているのに」
 博士は呟きながら、ポケットから手を出す。握られていたのは銀色のメス。
 足音も立てずにアンディの背後に忍び寄った博士は、振り上げられていた両手にメスの刃を走らせた。
「……ウイユちゃん」
「待てと言ったはずだが」
 両手がアンディの意思に反して下がる。
 両腕の腱を断ち切られたのだと、アンディはすぐに理解した。
 腕に刻まれた一文字の傷跡は、すぐに消える。切られた腱は瞬く間に再生するが、再度腕を振り上げたりはしなかった。
 その代わり、恨みがましい目で、アンディは博士を見る。が、博士は真面目な顔で、
「お前が、それを叩き切ろうが私の知った事ではないが、これ以上、部屋に腐臭を撒き散らすのは止めてくれないか」
 切断した首から漏れる腐臭混じりの黄色い液体。頭を潰せば、さらに酷い状況になるのは目に見えている。
「それに、頭をかち割ったところで、生死体は死なないのだろう?」
「……ここにいるのは代用品(スペア)だから、そうだろうけど」
 足元に転がる生首に視線をやる。
「確かに腐臭という意味では、不死人と生死体は随分と違うようだな」
 今まで、違いが良く分からなかったが、こうしてみるとはっきりとした違いが窺える。
 不死人はどんな傷を負ってもたちどころに再生され、体液が外に出ることはない。
 一方の生死体は、すでに死んでいるためか肉体が腐り、傷口から腐敗液が漏れ出す。
 不死人は、不死の人であり、生死体は、死を抱く人だ。
「不死人の方が、生死体より優れているような言い方は止めてくれるかい」
 口を挟んだのはザリオスだ。
「不死人は確かに不死に近い。が、普通の人間と同じように歳をとり、いずれは寿命で死ぬ。不完全な不死さ。一方の生死体――ボクは変わらぬ若さを保ちながら生き続けられる。駄目になった身体の部位は別の人間のものと取り替えればいいだけ。ボクの方が本当の不死なんだよ」
「人間に寄生しなければ生きていけないくせに何を偉そうに」
「寄生? とんでもない。全ての人間は生死体のパーツになるために生かされてるんだ。それを活用してなにが悪い」
「おめでたい頭だな。そこも腐ってるんじゃないのか?」
「なんだと」
 首だけになった兄と、それを上から見下す弟。
「首だけでも生きているとは。一体、どういう仕組みなのか。一度、ばらしてみたいものだ」
 言い争いをする兄弟を余所に、博士は呟く。
 それにしても、と博士は再度、二人に視線を向ける。
「不死人と生死体とは、生来から仲が悪いものなのか?」
 磁石の同極が反発するように、不死人と生死体も反発するように出来ているのか。
「だとするならば、なかなか興味深い」
 次の論文の議題にしてみるのも悪くはないかもしれない。
 アンディは靴底でザリオスの頭部を蹴る。蹴られたザリオスはボールのように転がり、壁に激突した。
「よくも、兄を蹴っ飛ばしたな」
「誰が兄だっ!」
「ボクだっ! お前より三十四分早く生まれた、ボクが兄だっ!」
「うっせぇ、お前なんかさっさと死ねっ!」
「お前こそ、さっさと死ねっ!」
 本人達は至って真面目だが、傍から見ると微笑ましい兄弟喧嘩に――ザリオスが生首であることを考えなければ――見えなくもない。
 それを眺めていた博士に、助手が白いハンカチを渡す。
「臭いを」
「相変わらず、気が利くな」
 博士はそれで口元を覆う。アンディが蹴っ飛ばしたせいで、腐臭がより強くなってきた。
 アンディは何度も、ザリオスの頭を蹴る。ミルクティーブラウンの髪は腐敗液と泥にまみれ、ぼろぼろになってしまっている。
「造作の整った少年の頭を探すのは大変なんだぞっ!」
「知った事か!」
 ザリオスは唇を震わせた。

「この、兄殺しっ!」
「黙れ、親殺しっ!」

 アンディの声音が下がる。ザリオスの頭に乗せていた足を下ろす。
 刺すような視線がザリオスに注がれる。
「お前が、俺の家族を奪った」
 言葉とは裏腹に、アンディの口元には笑みが浮かんだ。








H21.2.25