Murder Double Reunion

[ 殺人兄弟の再開 U ]






 
「あー、平和だなぁ」
 テーブルに上半身を預けて、息と共に言葉を吐いた。
 窓から吹き入る風が前髪を揺らす。
 揺れるカーテンの波を越え、窓際に置かれたテーブルと椅子。
 そこに腰を掛けていたのは若い男だった。
 明るい枯れ草色の金髪に、深い縹色の瞳。少し長めの髪が目に掛かり、うざったそうに指先で除けた。
 年のころは二十五、六。
 身につけているのは真新しいシャツにジャケットとズボン。
 ぼっさりとした髪を撫で付けて、きちんとしたものを着れば良家の息子にも見えなくもないが、猫背になりながらテーブルに顎を乗せている姿はあまりにも間抜けだ。
 誰が一体信じるだろうか。これがあの不死人の情報屋(アンデット・サーチャー)だと。


 「不死人の情報屋」の噂は実しやかに囁かれる。
 数多くいる情報屋の中でも、特筆した存在である情報屋。
 ありとあらゆる情報に精通し、その顧客のほとんどが様々な業界の要人であるとの噂まである。
 一般人には噂として囁かれ、事情を知る者には真実としてその存在を謳われる。
 情報という世界を支配する情報屋(サーチャー)。
 不死人の情報屋、そう呼ばれる男――アンディ・フランク。
 腑抜けた表情を取り繕う様子もなく、ぼんやりと虚空を見つめるこの男こそ、そのアンディ・フランクであった。


「……アンディ」
 鈴を転がすような声が室内に響いた。
 誘われて視線を向けたアンディは、無意識に喉を震わせた。
 日暮れ間近の淡い光が差し込む室内。
 白いカーテンに透かされた光は穏やかな景色を作り出していた。
 その中に――白いソファに脚を組んで悠然と座りこむ女性。
 等身大の人形が置いてあると思い込んだほうが、しっくり来るだろう。
 セミロングの黒髪に鳶色の瞳。肌は陶磁器のように白く滑らかで、赤く塗られた唇が吐息に合わせて震える。美しい、という言葉が似合いすぎて、褒め言葉が平凡にすら思えない。身に纏っているのは白衣。
 Drウイユ――博士と、その存在を知る者にはそう呼ばれている女性。
 人とは思えない人形めいた美貌。その身のうちから放たれる、目を離しがたい雰囲気。
 博士に着いて帝都に着いたのは今朝方だ。その後、ラボで博士のコレクションに挨拶させられて、それから軽い食事を取り、今に至る。
 穏やかな午後の時間。
「お茶はどうだ?」
 艶やかな唇から続く言葉に、不死人は我に返る。
「あー、貰おうかな」
「だそうだ、ジェイソン」
 そこでようやく、いつの間にか室内に人影が増えていることに気がついた。
 入り口の横。控えるように立っていたのは、男だった。
 眼窩の辺りを包帯できつく覆い隠しているため、その人相ははっきりしない。
 博士の助手、ジェイソンは黙って扉の向こうに身を翻す。
「……あいつ、茶なんか淹れられんの?」
「ジェイソンの淹れる紅茶は絶品だ」
 見えないのに? 問いかける不死人に、博士は淡く微笑み返す。
 助手が淹れる紅茶に不満はあるが、博士の穏やかな顔にそんなことは吹き飛ぶ。
「ウイユちゃんは、笑っているほうが綺麗だな」
「……確かに幸福の表情の中にある眼球は透き通り、甘い。舌で転がせば、蕩ける甘みを感じることができる。その味は、まるでショコラのよう」
 不死人の言葉に何を連想したのか、博士はうっとりとした口調で呟く。
 不死人は苦笑する。
 博士の頭には常に一つの事しかない。全ての話はそこに直結する。
「幸福を感じるということは、掛かるストレスが少ないことを意味する。ストレスは肉体の様々な部位に支障を与える事で知られているが、もちろん、眼球にとっても良いものではない。一般的に笑みとは幸福によって表現されるものと言える。だからこそ、良い笑みを宿す者の目はストレスが少ないと判断できる」
「でも、ショコラほど甘くないと思うけど」
「人の味覚は様々だ。自分の感覚で判断するのは愚かだと思わないか」
「まぁ……」
「しかし、お前の言う事にも一理ある。確かに、ショコラのようではあるが、ショコラそのものではない。眼球の甘さは何かで例えられるものではないからな」
「そりゃあねぇ、ショコラはめっちゃ甘いし?」
 熱っぽく語る博士に、不死人は相槌を返す。
 博士は鳶色の視線を不死人に向けた。
「……不死人に味覚があるのか?」
「あるに決まってるでしょ」
「しかし、痛覚はないのだろう?」
「痛いの嫌じゃん」
「ふむ、不死人の生態とは不可思議なものだな」
「不可思議って……いつも言ってるけど、俺は死なないだけの至って普通の人間なわけ」
 眉を顰めて、不満そうに不死人は言った。

 不死人(アンデット)――死んでない死人。

 肉体はいくら傷つけようとも、たちまちに傷は癒え消える。死に嫌われた不死人は死ぬことがない。死神が不死人に鎌を振るのは、その寿命が尽きたときだけと言われている。
「不死人(アンデット)と生死体(ゾンビ)。その違いが未だに良く分からないのだがな」
「ぜっ、全然違うっ! あんな腐ったやつと一緒にしないで欲しいね」
 頭を振り、本気で否定する。

 生死体(ゾンビ)――死にながら生きている死体。

 まるで、その名称を口にするのも穢わらしいというように、不死人は不機嫌気味に口を閉ざす。
 それに気付いていないのか、それとも知的好奇心による興味の方が勝っているのか、博士はさらに尋ねる。
「生死体も痛覚がないのか?」
「……多少はあるんじゃねぇの?」
「ふむ、お前のように再生するのか?」
「…………あれは、人間に寄生して生きてるようなもんだ。一緒にしないでもらいたいね」
「では……」
 口調が固くなる不死人を無視して、さらに疑問を投げかけようとした博士が口を閉ざしたのは助手が戻ってきたからだ。
 助手は慣れた手付きで、不死人が身を預けるテーブルの上に紅茶のセットを用意する。
 カップに注がれた飴色の液体。芳しい香りが室内に広がる。
 博士はソファから身を起こすと、不死人の正面の椅子に座りなおす。
 不死人も身体を起こしてカップを手に取った。
 助手が一緒に持ってきたシュガーポットから角砂糖を取り出し、投げ込む。ティースプーンでかき回し、砂糖が溶けたことを確かめた後、口に含んだ。
 ほど良い甘さと茶葉の香りが口に広がる。
「…………」
 悔しい事に、助手の淹れた紅茶は美味しかった。博士の「絶品」という褒め言葉も外れではない。
 正面を盗み見れば、優雅な手付きで博士がカップを口にしている。
 幾度見ても、飽きる事のない姿。
 シュガーポットの角砂糖をつまみ出し、口の中に放る。舌で転がせば、甘さが広がる。
 博士の言う眼球も、こんな感じなのか。生憎、不死人に人の眼球を食む趣味はないから、想像するしかない。
 指先で摘まむ白いキューブ。小さな粒が集まって出来た塊は、口の中の温度に溶けて形を崩す。
 ポットから角砂糖を摘まんでは、口の中に放る作業を繰り返す不死人に、博士は目を瞬かせた。
「……アンディ」
「んっ?」
「お前が、砂糖中毒者(シュガー・ジャンキー)だったとは知らなかったな」
 見れば、ポットの中の角砂糖は不死人の口の中に全て消えていた。
 あれま、と呟きながら、不死人はポットを逆さに振る。出てくるのは粉ばかりだ。
「外に出てると、甘いもんに無縁だからねぇ」
 考え事をしていたのと、久しぶりの甘みにうっかり全部食べてしまったようだ。
「砂糖の予備はまだあったか?」
 問いかけに助手は無言のまま、扉の奥へと姿を消す。
 向こうの部屋には小さなキッチンがある。そこに探しにいったのだろう。
 アンディは椅子の背凭れに体重を掛け、窓の向こうを覗きこんだ。
 帝都は広い。その面積の半分を占める学院も広い。外れにあるこのラボの周囲は豊かな緑に囲まれ、本当に帝都内なのか疑問に思ったりもする。
 窓から見えるのは、葉を茂らす木々だ。鳥の鳴き声が遠くに聞こえる。
「平和だなぁ」
 呟きが自然と漏れる。
 こんなに穏やかな時間を過ごすのは、いつぶりだろうか。
 情報屋という仕事柄と、放浪好きという性分のため、滅多に人のいるところに足を踏み入れない。

 誰も知らない場所へ。
 誰も踏み入れない境地へ。
 誰も得ることのないものを。

 そうして手に入れた情報を売る。
 身を守る必要がないため、携帯しているのはナイフと銃が一つずつ。
 飢え死ぬことないため、町へは衣服の調達と情報の取引か、情報を得るためくらいしか足を運ぶ必要がない。
 不死人(アンデット)ゆえにできる生き方。


 ――ガチャン


 その平和を遮る音が響き渡る。


 ――ドンッ、ドンッ


 銃声が壁越しから聞こえてくる。
 不死人は何事かと博士を窺うが、博士はまるで音など聞こえていないかのように悠然としている。
「あの……ウイユちゃん?」
「どうやら、ネズミが出たようだな」
 聞こえてくるのは、何かが割れたり倒れたりする音と、銃声。
 ネズミ退治には随分と物騒な物音だ。
「ネズミねぇ」
 そのネズミの正体に思い当たり、不死人は息をついた。
 博士に執着するおっかない教授は犬だけではなく、ネズミも飼っている。
 様子を見に行こうかと思ったが止めておいた。
 助手に手を貸してやる義理もないし、そもそも自分は客人の立場だ。博士が何もしない以上、口出しする必要もない。
「平和だなぁ」
 銃声が鼓膜に轟くのを無視して呟く。
 窓から見える風景は相変わらず、穏やかだ。
 紅茶を口に含もうとカップを手にした、その時だった。
 破裂音と共に手にしていたカップが砕けた。
 半分ほど入っていた中身が飛散し、不死人に直撃した。
「ぶわっ」
 飛び散った飴色の液体は不死人の上半身を濡らす。
「うげぇ」
 壁に目をやれば、穴が開いているのが分かる。その向こうから銃声が聞こえるので、そこがキッチンなのだろう。
 不死人はテーブルクロスを掴むとそれで顔を拭う。
 白いテーブルクロスに茶色い染みが描かれる。しかし、濡れた服はどうしようもない。
「あー、買ったばかりなのに」
 嘆きながら正面に目をやるが――どこから取り出したのだろうか。本を手にした博士はページを白い指先で捲っている。
 壁の向こうの喧騒など素知らぬふりだ。
 博士にとって、この程度、日常茶飯事なのだろう。
「ウイユちゃん。タオルってどこにある?」
「この部屋にはないな」
 本から顔を上げずに博士は答える。
 普段から身の回りのことは助手がしているのだろう。
 不死人は椅子から立ち上がった。
 この部屋にないということは、他の部屋にあるということだ。
 できれば、キッチンで起きている出来事には関わりたくはないが、放っておけば、折角買った服が駄目になってしまう。
 仕方なしに、不死人はタオルを探すべく、部屋を出た。
 パタン、と閉じられた扉。
 一人残された博士は、不意に思い出したように視線を横に向けた。
 壁に開いた穴と、その向こうから聞こえる銃声と何かが暴れるような音。
 博士は首を傾げる。さらりと待った黒髪が白い頬を伝う。
「珍しく、手間取っているようだが」
 いつもなら、すぐに片がついている。それなのに、聞こえる銃声は途切れない。
 だからといって、加勢しようとは思わない。教授が送り込んでくるネズミ退治もまともに出来ないようなら、それは博士の助手として失格だから。
 博士は再び、手元の本に視線を落とす。
 本の世界に入り込んだ博士の耳に、銃声は遠く失せて行った。









H21.2.15