Misstake Dirty Reborn
[ しくじりに泥にまみれた再誕 U ]
「……アンディ・フランク」
至高が言う。
不死人は眉を顰めた。
至高が言葉を話したから――ではない。彼らの種族が人語を介することができるのは知っていたし、だからこそ、彼らは人間の手によって滅ぼされることを免れた。
意外に思ったのは、彼がこの身の名を知っていたことを。彼にとって人間の名前などなんの意味もないはずなのに。
「……を知ってる……て。Mr.フラム、お前は……」
裂かれた喉が再生される。
不死人はどこか、怯えたような眼差しで至高を見た。
「お前は……俺のストーカーだったのか!」
「…………」
身を震わし、腕を胸の前で交差させて身体を庇う仕草をする。
答えない至高に、いっそう、怯えの色を強くする。
「やっぱり、そうなのか! 残念だが、俺はウイユちゃん一筋なんで、期待するだけ無駄だぞ」
不死人は少しでも至高と距離を取ろうと、地べたに腰をつけたまま後退りをする。至高は、じっと不死人を窺っている。やがて、
「お前が、あの狂人に知らせたのか?」
「なにを?」
「…………」
とぼけてみたが、上手く誤魔化せたようには思えない。
じっとりとした汗が背中を伝う。
ストーカー云々は、もちろん、適当に言ったことだ。おそらくは、以前に博士が不死人のことを至高に話したことがあるのだろう。
不死人の情報屋は、アンディしか存在しない。至高が目の前にいる不死人がそうだと判断する材料には事欠かない。
情報屋は情報を売買するもの。
隠れていた同属の居場所を、博士に売ったと推測するのは容易いことで。
「……ぐっ」
呻きが喉の奥から漏れる。
至高は、不死人の首を無造作に掴む。咄嗟に、銃口を至高に向けるが、呆気なく手から弾かれてしまう。
銀の銃身は手の届かないところまで飛んでいく。
それを横目で見ながら、不死人は至高を見上げた。
首を捉える腕に力が込められる。
「……お、まえに」
喉が押し潰されて、声が掠れる。
不死人は笑んだ。
「俺は、ころせ、ない」
誰も、不死人を殺せない。
例えそれが、不死人自身の手であろうとも。
不死人は笑う。
首を締め上げる至高を。
死ぬことのない我が身を。
不死人は笑う。
笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。
至高の鋭い爪が肩を抉り、脇腹を突き刺す。
手足の骨を力任せに砕かれ、耳を千切りとられる。
それでも、失うものはなにもなく。
不死人は、無駄な努力をする至高を嘲笑う。
「Mr.紅炎(フラム)」
不死人は言う。スペクトルの瞳を見上げて。
「お前が、早くあの人にやられてくれないと、いつまで経ってもあの人が俺のものにならなんだけど」
だから、早くその眼球を、博士が至高と呼ぶそのスペクトルを――。
「それに、お前のせいで、お前の仲間が殺されたんだろう?」
「…………」
博士は至高に恋焦がれている。手にしたいと、その眼球を食みたいと思っている。至高は博士を憎悪し、敵意を持って抵抗する。それが、博士を益々喜ばせる。
「ウイユちゃんに情報を与えたのは俺だ。だが、ウイユちゃんが情報を欲するのはいつだってお前のためだ」
至高を手に入れるために――。
「お前の仲間が殺されたのは、お前のせいだ」
『彼女がこうなったのは、お前のせいだろう?』
彼女が、同属が殺されたのは、サフィがいたから。サフィを手に入れるために殺された。
彼女が殺されたあの日から、それは切れることのない怨嗟としてサフィを縛る。
「狂人どもめっ」
苦しげに吐き出された叫びを、不死人は一笑した。
「この世界にまともなやつなんているものか」
ずたずたに引き裂かれた身体は、早くも元に戻りつつある。
不死人は笑う。
「ウイユちゃんも、俺も、お前も、みーんな狂ってる!」
至高は意味のない叫び声を上げた。
鋭い爪を不死人の顔面に突き刺さす。
ぐちゃり、と潰れる嫌な音。
己の顔が潰される音を聞きながら、やはり不死人は笑うのみ。
すでに笑みを形作ることができないため、心の中で笑う。眼球も潰されたのだろう。視界は真っ黒に塗りつぶされる。
鼓膜も突き破られたのか、音も聞こえない。それでも、すぐ傍に至高がいることは気配で分かった。
身体中に鈍い衝撃が走る。至高が怒りに任せて、不死人の身体を刻んでいるのだろう。
不死人――アンディは哀れな至高に同情を覚えた。
博士に対して憎悪を覚えながら、博士に復讐することも適わず。逃げれば、同属が代わりに殺される。生きているだけで地獄だ。
八つ当たりの対象にされるのはあまり嬉しいことではないが、博士が執着する至高の目が、今、この瞬間、自分を捉えていると思うとそれほど嫌な感じがしない。
博士が知ったら、どう思うか。少しはこの身に興味を持ってくれるのか。
身体が浮く気配がした。どうやら投げ飛ばされたらしいと気付いたのと、ゴミのように地面を転がったのはどっちが早かったのか。
徐々に明るくなる視界。飛び込んできたのは厚い雲。割れたらしい頭蓋骨が、音を立てて正しい場所に戻るのが聴こえた。
がきん、と首の骨が移動する。全身がむずむずするのは折れた骨や、潰れた内臓が再生している証だ。
まだ少し歪んでいる眼球を動かして、至高の姿を探す。
至高は立ち尽くしていた。虚ろな眼差しが不死人を眺めている。
彼は、なにを思うのか。
彼は、なにを願うのか。
最愛の存在を奪われ、博士に眼球を狙われ、こうして同属を殺されて。
かわいそう。
と呟いてみる。
それから、なんとも不思議な気分になって不死人は笑みを零した。
哀れむ感情がまだこの身のうちに残っていたとは意外なことのように思われた。
身体をそっと起こしてみる。無様に転がっているうちに、身体はすっかり元に戻っていた。
「……なぁ」
色を変えるその眼球が、ゆるりと動く。
「次はどこの集落が狙われると思う?」
楽しげに吐かれた言葉に、至高の顔色が変わるのがわかった。
不死人が掴んでいる情報には、ここ以外の集落の場所もある。全てを博士に話したわけではない。大事な取引材料を全て明かしては情報屋など勤まらない。
至高が動く。
不死人目指して動き出す。
不死人は笑みを浮かべながら背後に手を回す。掴んだのは銀の銃身。
運が良いというのか、至高の詰めが甘いというのか。よりによって、銃が転がった先に投げてくれるとは、親切にも程がある。
一発目の銃弾は、至高の肩を捉えた。赤い血が飛び散る。
人間でありながら血を流すことがない不死人と、人でないものでありながら赤い血を流す至高。
どちらがより人間離れしているのか。
至高は歩みを止めない。不死人に向けて走り寄る。
不死人は引き金を引く。至高に向けて銃弾を放つ。
銃身が跳ねた。そのせいで狙いが外れて。真っ直ぐに至高の顔を目指して飛ぶ。
やばい、と思ったが銃口から吐き出された弾丸が戻るはずもなく。それは吸い込まれるように至高の顔に――。
甲高い音が空を切り裂いた。
銃弾が銃弾によって弾かれる。
至高の顔を狙っていた弾は、横から割り入って来た別の弾によってあらぬ方向へと飛ばされた。
至高が足を止める。
「ウイユちゃん!」
不死人が歓喜の声をあげた。
いつの間に、そこにやってきたのか。
焼け落ちた建物を背に立つ女性。白衣が風に煽られ、黒髪が揺れる。
博士は黒い銃身をゆっくりと下げた。その後ろには、当然のように助手が控えている。
博士は不快気に眉を顰めた。
「アンディ……私の至高になんてこと」
「えっ? ちょっと、ウイユちゃん?」
「よりによって顔を狙うとは。万が一、眼球が傷ついたりでもしたら、どう責任をとるつもりだ」
憤慨する博士に不死人は慌てふためく。
てっきり、助けに来てくれたかと思ったのだが、博士が助けたのは不死人ではなく至高だったらしい。
「前々から思っていたのだが、お前は眼球の素晴らしさというものを理解していない。今後のためにも、じっくりと講義してやる必要がありそうだ。良いか、眼球はお前のような不死人は別として、傷ついたら再生することはない。デリケートな部位だ。ゴミが入るだけで表面が傷つき、薬や毒によって容易く侵されてしまう。けして、代わりあるものではない。腕なら新たにつけかえればいい。内臓なら代わりのものを詰め込めばいい。だが、眼球はそうはいかない。眼球とはその者の全てを見ている生き様を写し取っているものと言っても過言では……」
「あのさぁ、ウイユちゃん」
熱く語り始めた博士に、不死人が遠慮気味に口を挟む。
「至高は行っちゃったけど」
博士の存在を認めた至高は、分が悪いと判断したのだろう。
闇夜に紛れれば隙をつくことも敵うが、今はまだ明るい。ましてや、三対一で敵うと楽観はしていない。
逃げるが勝ちとは良く言ったもので、至高は早々と姿を森の奥へと消した。
「折角、戻ってきたというのに……まぁ、良い」
至高に関する目撃情報が近くの町であったため、こちらに向かったのではと引き返してきたが。最初から、ここで仕留めるつもりはなかったので、未練はあまりない。
「それにしても、お前に露出趣味があったとは知らなかったな」
「はっ?」
言われている意味が分からず、不死人は目を瞬かせた。
「いや、人の趣味に口を挟むのは失礼にあたるからな。敢えては言わんが、せめて他者がいる場では体裁だけでも整えるのが礼儀ではないか? それとも、それがお前なりの礼儀だというならば、それに関してあれこれ言う方が礼儀に反しているのか?」
真面目な顔で問われて、何を言っているのか分からず首を傾げるが、ふっと不死人は視線を落とした。
「あぁ!?」
予想できたことのはずだった。
あれだけ、散々刻まれたのだ。
肉体と違って再生しない服。容赦なく切り裂かれた服は原型を留めておらず。ほぼ裸に近い状態になっていた。
「どうりで寒いと……って気付いてたなら、もっと早く言ってよ」
よりによって、博士の前でこんな失態を冒すとは。
「お前の趣味だったら悪いと思ってな」
半泣き状態の不死人に対して、博士はまるで気にしていないようにそう呟いた。
とんでもなく不本意ではあったが、博士の助手の服を借りることにした。
さらに、ついでだから、街まで送ってくれるという。
黒い高級車の後部座席に乗り込んだ不死人は息を吐いた。
まったく、散々な一日だった。至高に襲われるし、服は刻まれるし。博士に会えたことは幸運とも呼べないこともないが。
「お前はどうする?」
「なにが?」
「これから、どこにいく?」
博士に問われて、不死人は考え込む。別に、特に行き先は決まっていない。とりあえず、身奇麗にできて新しい服を買えるところならどこでも。
そう告げれば、博士は淡く微笑して、
「なら、帝都(セントラル)に向かう」
「……帝都?」
「学院(アカデミー)のラボに用がある」
反対する理由はない。もちろん、避けて通りたい場所ではあるが、あいつとそうそう遭遇するとも思えない。だから、大丈夫なはずだ。
「オーケー。じゃあ、帝都までよろしく、ウイユちゃん」
「運転するのはジェイソンだがな」
無愛想な助手がアクセルを踏む。不死人は思わず、嫌な顔を浮かべたが。
「河に飛び込んだり、崖を下ったり、沼地にはまりこんだりしないでくれよ」
「問題ない。この辺りには河も崖も沼地もないからな」
楽しげに告げる博士に、そういう問題ではないと呟きつつ、不死人は溜息を吐いた。
黒い車が、一人道連れを増やして、走り出した。
H20.8.12