Misstake Dirty Reborn

[ しくじりに泥にまみれた再誕 T ]






 転がる骸を突っつくカラスの群れ。喧しく鳴く声は、天高く響く。
すでに息を止めた哀れな骸は鋭い嘴を避けることも出来ず、黒々としたそれが肉を抉るのを受け入れるしかない。
 深い森の中、硝煙の匂いと鉄錆の匂いが満ちる。焼けた建物。森の木を切り倒して作られたらしいそれは、急こしらえだったのか、あまりにも粗末なものだった。もっとも、今では使うものなどいないのだが。
 幾つもの屍。その上に立つ人影。
 生臭い風に煽られ、白衣の裾が大きくめくれる。白衣には、所々、赤黒い染みがついていた。
 唇についた雫を、舌先で拭う。人形めいた容貌には恍惚の表情が浮かび、頬は淡く紅潮している。潤んだ瞳が捉えるのは、たった今、食んだ眼球の主の死体。
 博士――ドクターは満足げに一人、頷いた。
 無数に転がる骸。その全ての眼球が抉り取られていた。
 指先に付着した透明な雫を紅い舌が舐め取る。
 ぽちゃん、と水音が響いた。
 もう一方の手に握られた長い筒。その中に入れられていたのは、無数の眼球。そのどれもが、時と共に色を変えるスペクトルを宿していた。
 博士の腕が揺れるたびに、筒に収められた眼球も揺れる。
「博士(ドクター)」
 歩み寄ってきた長身の人影。胸元を飾る銀のロザリオが、足を進めるたびに胸を打つ。博士の助手であるジェイソンは、博士に向かって軽く頭を下げる。
 博士はゆっくりと顔を上げ、助手の方を見た。
 助手の手には赤黒い血がこびりつき、顔にまで飛沫している。黒い服のため良く分からないが、服にも相当、血が染み込んでいる様だった。
 顔の半分を覆う包帯が視界をふさいでいるが、それを苦にしている様子はない。
 助手は、そっと博士の耳元に顔を寄せた。何事か耳打ちをする。
 博士の目が見開かれる。
「そうか、そうか。なるほどな」
 くつくつと、低い笑いが喉の奥から漏れた。
「行くぞ、ジェイソン」
 足元に転がる屍を厚いブーツの底で踏みつけ、上機嫌で博士は歩き出す。
 そのあとを助手が黙って続く。
 まるで嵐のようだった。
 博士と助手が去った後、残された骸たちは無言のまま、そこに横たわっていた。舞い降りるカラスが、骸を抉り、赤黒い血は大地に飲まれていく。
 死んだ世界がそこに広がっていた。


 どれほど、時間が経っただろうか。
 ぼこり、と地面に穴が空いた。大地から天に伸びるように生えて来たのは一本の腕。それが、地面を掻くように左右に大きく揺れた。
 腕が動くたびに、大きくなる穴。ある程度の大きさになると、もう一方の腕が、ひょいと出てきた。そして――。
「ふぅ、やっぱ、地上が最高!」
 土に汚れた顔が穴の中から覗いた。若い男だった。ほっそりとした顔には、どこか三枚目俳優のようなおどけた様子がうかがえる。
 腕を捻るように動かしながら、男は穴から身体を抜け出させた。
 余程、窮屈な目に合っていたのか、男は軽く身体を伸ばすと、拳で肩を叩く。
 泥でも被ったかのように、男は土にまみれていた。金髪は汚れ、肌も茶色くなっている。身につけている服といえば、元の色さえ分からない。
 奇妙なことに、男の上着は肩から裂けていた。応急処置のつもりなのか、一応は縛ってあるが不恰好なのには違いない。
 男は地面に腰を降ろすと、ようやく、周囲の惨状に気がついたとばかりに、目を瞬かせた。縹色の瞳が大地に転がる無数の骸に注がれる。
「あーあー。相変わらず、非道だねぇ。ウイユちゃんったら、なにもここまでしなくていいのに」
 呆れたように呟くが、そうするように仕向けたのはこの男だ。
 情報屋(サーチャー)。
 表向きにならない情報を売るのが情報屋。暗い路地の奥に潜む情報の繰り糸を扱う者。
 だが、彼は普通の情報屋とは少し違っていた。
 アンディ・フランクと言う名に心当たりがなくても、不死人の情報屋(アンデッド・サーチャー)を知るものは多い。

 他の情報屋が得ることができない情報を。
 他の情報屋で取り扱っていない情報を。
 他の情報屋よりも早く確実な情報を。
 他の情報屋よりも多くの情報を、持っている情報屋。

 不死人の情報屋。

 特定の顧客しか持たず、その顧客のほとんどが、なんらかの要人であるという噂もある。
 繰る糸で情報を操り、情報を買うものまで操る。情報という一つの世界を支配する者。
 不死人は土汚れを落とすように髪にかきあげた。
「一度、街に戻るかなぁ。このままだと浮浪者に間違われそうだ」
 髪の一房を指先で摘まんで呟く。
 そういえば、最後に街に戻ったのはいつだっただろうか。視界の端に汚れた服を映しながら、ぼんやりと考える。
 帰る場所を失ってから、一箇所に留まることなく、放浪してきた。その過程で耳にした情報をやり取りしているうちに情報屋となった。いつしか、それは天職だと言えるまでのものになったが。
 未だに、こうしてあちらこちらをうろついているせいで、人と関わる機会も少ない。だからといって、人と全く関わらないわけにもいかない。
 人間らしく生きていく上で必要な物を手に入れるには、人間の中に入り込まなければならない。
 特に、今の自分の姿はとてもじゃないが、まともとはいえない。一度、街に赴いて身奇麗にするべきだろう。
 自分の身なりの惨状を見て、不死人は一人頷いた。
「そういや、最近、帝都にも行ってないなぁ」
 経済の、流通の、知識の、富の、名誉の、中心。ありとあらゆる賢者と愚者が集う街。その外観を思い出しながら、不死人は軽く頭を振った。
「あそこには、あいつがいるからなぁ。さすがに公衆の面前で撃ち殺したら、洒落にならんし」
 ちょっと出くわしただけでも、どんなことをしでかすかわからない。そこまで理性を抑えられる自信はなかった。もっとも、それはあっちも同じだろうが。
 むくりと立ち上がり、再度、身体を伸ばす。
 売った情報の行きつく先を確認できた以上、こんな辺境に長居は無用だ。頭の中に、集落の全滅を記録しておく。それを行った人物の名と共に。
 一番近い町の名前を口内で呟きながら、不死人は積まれた骸に背を向けた。
 そのときだった。
 肌がぴりりと焼け付くような殺気が背中を刺さった。心臓が嫌な鼓動を立て、汗が滝のように噴出す。次の一歩を踏み出しかけた足が硬直する。
 緊張状態にある肉体に反して、不死人は、「あーあー、しまった」と心の中で嘆く。
 これだけ、派手にやったのだ。彼が嗅ぎ付けてこないはずがないというのに。すっかり、失念してしまっていた。
 不死人はゆっくりと身体ごと振り返る。けして、彼を刺激しまいと思いながら。
 予想に反して、彼は不死人を見ていなかった。地面に肩膝をつき、物言わぬ骸と成り果てた仲間の頬に手を触れていた。
 色を失った頬。赤黒く乾いて張り付いている血。腐臭に包まれたそれを、どこか苦しげな表情で見つめていた。
 不死人の存在に気付いていないわけではないはずだ。これだけ、近くにいて気付かないなんてことはありえない。
 ただ単に、今は不死人の存在を無視しているだけ。今は骸と化した同属に意識を向けているだけに過ぎない。
 関わり合うのは遠慮したい。情報屋は情報屋らしく、裏でこそこそしているのが正しい。こういうときは、さっさと逃げるに限る。
 不死人は、後退る。音を立てないように慎重に、最新の注意を払いながら。すぐ後ろには、ここまで来るのに使った地下の抜け道がある。そこに入り込めば、身の安全は保障できる。
 そう、そこに入り込むことができれば。
 ぱきり、と乾いた音が響いたのは、地面に開いた穴までもう少しというところだった。
 足元に落ちていた一枝。それを誤って踏み折ってしまったのだと、自覚する前に。
 振り向かれるスペクトルの双眸。赤から青へ、黄色から緑へ、金から銀へと色を変える鮮やかな虹彩。美しい色合いは、見るものを魅了する。
 博士が惚れるだけあるなぁ、と感心している場合でもなく。
 唐紅の髪が風に撫でられ揺れた。長い爪を生やす腕が持ち上げられる。スペクトルの瞳が不死人を捉える。
 博士が至高(サフィ)と呼ぶ眼球を宿す化け物が、不死人を視界に捕らえた。
「えーと……Mr.紅炎(フラム)、ご機嫌麗しゅう? って、んなわけないか」
 無数の同属の亡骸を目の前にして、機嫌が良いはずはない。当然、返って来る反応もなく。
 スペクトルの瞳が真紅に染まるのをみた。
 不死人は頬を掻く。これは、相当怒っている。
 自分の持ち物を確認する。持っているのは銀色の銃と、代えの弾だけ。懐にナイフを忍ばせてはいるが、果たして、どれほど役に立つのか。
 地下の抜け道までは、ほんの僅か。迷ったのは一瞬。不死人は至高に背を向けると、駆け出した。地面にぽっかり空いた小さな穴。それ目掛けて足を動かす。
 足先は吸い込まれるように穴の中に落ちる――はずだった。
 脇腹を抉るような衝撃。不死人の身体は軽々と吹っ飛び、地面に叩き付けられる。
 呼吸が詰まり、喉の奥から呻き声が漏れた。
 どさりと、地面の上に仰向けになる。
 至高はただ殴りつけたつもりだろうが、鋭い爪を宿りした一撃は、普通の人間なら死に至るほどの威力を持つ。
 ぐったりと地面に倒れこんだ不死人を炎の色に染まった双眸が見つめる。
「この匂い……生死体(ゾンビ)か?」
「だっ、誰が生死体だ! 俺は不死人(アンデッド)だ!」
 至高の呟きに、不死人は勢い良く上半身を起こした。
 一撃を受けたことがまるで嘘のようだ。血の一滴すら、大地に流れることはない。あの一撃が幻ではなかったことの証に、破れた服の一部が風に舞い飛んだ。
 死にながら生きているのが生死体(ゾンビ)で、死んでいない死体が不死人(アンデッド)。同じようで違う。その違いに拘るのも本人達だけで、他の生き物からみれば、どちらも同じなのだろうが。
 不死人は服に付いた土を払いつつ立ち上がる。元々、肩から裂けていた上着は至高の一撃で、さらにボロボロとなっていた。
「あーあー、もうこれじゃあ、もう着れねぇじゃんか」
 上着の下のシャツまでも裂けてしまっている。散々だと、不死人は口内で悪態をつく。
 そうしていられたのも、そこまでだった。
 音もなく忍び寄った至高が、鋭い爪が生えた腕を振るった。それは的確に不死人の心臓を捉えた。
 胴を貫く腕。飛び散る肉片。
 至高はゆっくりと腕を引き抜いた。その腕に、血痕は付着していない。その胴に宿る心の臓を貫いたというのに、鮮血が大地を染めることもない。
 不死人は困ったように首を傾げ、それから、穴の開いた自分の胸に目をやる。
 血は流れない。痛みもない。千切れた肉片が元に戻ることもない。
 早送りでもしているかのように、胸に開いた穴が塞がっていく。最初から、穴など存在していなかったかのように、瞬く間にそれは消え失せた。
 不死人が持つ、超人的な再生力。
 死に嫌われた不死人はけして、死ぬことはない。
「出会い頭に、人をぶん殴るは、心臓を貫くは……ちょっとは礼儀ってもんを覚えない?」
 穴の開いた服を嘆くことは早々と放棄したらしい。
 ボロ切れと化した上着を脱ぎ捨てながら、溜息を漏らす。
 しかし、至高にその呟きは聞こえていなかったようだ。
 風が唸った。不死人は地面を転がることでその一撃を避ける。サフィの手が大地を抉る。身を起こしながら、不死人は両手を前に翳して、
「ちょっと、待てっ! 言って置くがお前の仲間を殺したのは俺じゃない。俺は死なないだけの至って普通の人間だし、お前みたいな化け物を何匹も殺せるほど、銃の腕前も高くないし」
 目の前に転がるのは幾つもの骸。疑われて当然の状況であることに、不死人はようやく思い当たった。
 無実の罪を着せられて八つ裂きにされるのは遠慮願いたい。たとえ、痛みを感じなくても、死ぬことがなくても、己の内臓を目の当たりにしたいとは思わない。
 至高が顔を上げる。縦に割れた瞳孔と色を変える虹彩が不死人を捉える。
 と、姿勢を低くした至高は不死人目掛けて走り寄る。
「それに、野郎に刻まれる趣味はないし」
 取り出した銀色の銃身。その銃口を至高に向ける。
 狙うは胴。万が一、顔にでも当てて、眼球を損傷させれば、博士の不興を買うことを不死人は知っていた。そして、それは不死人の本意ではなく。
 至高は放たれた銃弾を易々と避けて距離を詰める。
 爪先が不死人の喉を切り裂いた。
 赤い血が虚空を舞うことはない。喉を切られ、肺に送り込まれ損ねた空気が音を立てて漏れるのを、不死人は自分の耳で聞いた。








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