Much Disappear Romance

[ たくさんの見えない恋情 U ]






 甲高い音と共に、銀の弾が博士を目指して弾けた。
 博士はそれをギリギリのところで躱す。博士もまた、右手を掲げて――。
 だが、博士の右手に握られていたのは銃ではなく。
 いつの間に取り出したのか。銃の代わりに手の平に握られた小瓶。
 それを男に向かって投げつけた。予想外のことに、男の反応が遅れる。
 薄いガラスだったのか。小瓶は男の右肩にぶつかり、呆気なく割れた。

  ジュッ

 立ちのぼる白煙。肉が焼ける嫌な匂いが漂う。瓶の中の薬品は、男の血肉を溶解した。
 男は、じくじくと赤黒く変色した己の右肩をまじまじと見つめると、
「あーあ、これじゃあ、もう着られないじゃん。まったく、ウイユちゃんはいつも容赦ないなぁ」
「お前相手に手加減などしてやれないからな」
 溶解し、破けた服を引っ張りながら男が嘆けば、博士は、再び手の中に戻した銃口を男の額に向ける。
 引き金を引くのは一瞬。それは、狙い違わず、男の額の真ん中を貫いた。

  ばちゃんっ

 仰向けに倒れた男。水溜りの水が跳ねる。空から降り注ぐ雨が倒れた男の上に降り注ぐ。
 あまりにも呆気なく、地に倒れた男。
 閉じられた瞳はなにも映さず。銀の銃身が無造作に転がる。
 博士は暫く、地面に倒れた男を見つめていたが、
「モグラごっこの次は、死体ごっこか? 生死体(ゾンビ)が死体ごっこするなど、笑えない」
 呆れ混じりの声音で言えば。
「生死体(ゾンビ)じゃなくって、不死人(アンデッド)だって」
 むくりと、上半身を起こして、男は不満げに告げる。額に空いたはずの穴。確かに当ったはずなのに、銃弾が貫通したはずの穴の痕跡はない。
「どちらも同じだろう?」
「大間違いさ! あんな腐った屍野郎なんかと一緒にしないでくれよ。俺は不死人(アンデッド)。死なないだけの、至って普通の人間だ」
 拳を震わせ、男は必死で力説するが、博士はその違いを理解できないのだろう。首を傾げる。濡れた髪が頬を縁取り、雫を散らした。
「不死人が死ぬと生死体になるのだろう? だったら、同じでは」
「違う。すでに死んでいるのと、まだ死んでいないのじゃ、大いに違う!」
 男――不死人(アンデッド)は手を振り、なんとか違いをアピールしようとするが、博士には全く伝わっていないようだった。
 生暖かい雨が二人を濡らし、漂う腐臭を消し、荒野には水溜りが幾つもできる。だが、それは気まぐれな雨。
 風が吹いた。風は暗雲を彼方へと誘導する。雨は細やかになり、そして、途絶えた。
 博士は空を一瞥する。
 相変わらずの曇天ではあるが、一先ず、雨足は去ったようだった。
 すっかり湿って重くなった白衣の裾を引っ張る。捻って絞れば、水が滲み出し落ちた。
 それに倣う様に。座っていた不死人も立ち上がり、服を絞ろう――として肩の部分が溶解してしまったことを思い出す。
 その下の肌には傷一つない。男は溜息を漏らした。
 服を溶かされることになるとは思っていなかったのだろう。雨が降っていたおかげで、肩の部分だけで済んだというべきか。雨で流されなければ、あの薬品は服を全部溶かしていたかもしれない。
「それで、今回は私の勝ちでいいんだな?」
 服の惨状に、がっくりと肩を落としている不死人に、博士が問う。
「勝ちでいいけど、服はウイユちゃんが弁償してくれよ」
 大地に潜っていた時点で、泥だらけでもう着られるようなものではなかったという意識はないようだった。
「ジェイソンの着替えがあったはずだ」
 博士は、助手を待たせていたことを思い出す。体格的に助手の服が着られるはずだ。すると、不死人は眉を寄せて、
「……断る。あいつの服を着るくらいなら、裸でいたほうがマシだ」
「…………」
 不死人を博士は見やる。不死人はその視線から逃れるように、明後日の方を向く。
 沈黙。
 博士は理解できない、というように頭を振った。
「どこが気に入らない?」
「…………」
 その質問は、さっき不死人が別の意味で使った。
 そっぽを向いたままの不死人に、博士は息を一つ吐く。
「弁償の話は後にしよう。それで、私の勝ちで良いんだな?」
「……約束(プラミス)だからな。なにが知りたい?」
 どこか不機嫌な声音で、不死体は博士のほうをようやく向いた。
「私が求めるものなど一つしかないだろう」

 博士が求めるもの。
 博士が欲するもの。
 それは――。

 不死体は溜息と共に、頭を左右に振るう。
「生憎、あれの所在地は掴んでない、が」
 縹色の目が鳶色の目を見やる。
「あれの同属の場所は掴んだ」
「どこだ」
 博士の目が、きらりと瞬く。
 不死体はいくつかの土地名をあげた。博士はその場所の名を口の中で転がす。その表情は、恋する乙女のようで。
「情報屋、やめようかなぁ」
 思わず、ぽつりと不死体は漏らした。
「なぜだ?」
「なぜって……報われないから」
 不死体は首を竦める。
 その言葉に何を思ったのか。博士は握り締めていた右手を開いた。
 黒い銃身は、いつ引っ込めたのか。そこにあったのは無骨な黒いフレームではなく、小さな皮袋だった。博士はそれを指先で摘まみ、
「ただ働きが嫌だというならば、それなりの対価は払おう」
「……約束だからいらない」
 差し出された皮袋に、不死人は首を振って拒否する。
 約束(プラミス)――博士と情報屋である不死人との間に交わされたもの。
 死なない男は、博士に情報を提供する。博士の求める情報を。
 ただ情報を提供し、対価を支払うだけでは面白くないと、先に言い出したのはどちらだったのか。
 それは、ゲーム。
 弾丸を、ナイフを、拳を交えて。先に相手を地面に転がしたほうが勝ち。
 博士が勝てば、タダで情報を提供し、不死人が勝てば――。
「あぁ、これで一体、何敗だろう」
「二十六勝〇敗十三引き分け。つまり、お前は私に二十六敗しているということだ」
 不死人の呟きに、即座に博士は答えてみせる。不死人は肩を落として、溜息を漏らし、
「…………生きているくせにウイユちゃんは強すぎ。本当に人間?」
「人間以外になった覚えはないが。手を抜いてるくせに言われたくない。本気で掛かってこない限り、いつまで経っても私には勝てないぞ」
 死なない男が本気になれば、死ねる博士には不利だ。だが、不死人はけして本気で博士と戦おうとはしない。なぜなら――。
「俺は生きてるウイユちゃんが好きだからね。間違って殺しちゃったら、嫌だし」
「私が、そう簡単にやられるとでも?」
「そうは思わないけど」
 不死人は苦笑を漏らす。
 博士を相手にすれば、あの人ではない者でさえ、苦戦する。だが、あれとは違い不死人は死なない。どんな武器でさえ、不死人に死を与えることは不可能だ。たとえ、博士だとしても、不死人に死を与えることはできない。不死人は、死なないから――。
「万が一ってこともある。ウイユちゃんが死んじゃったら、不死人(なかま)になってもらえないし」
 それは、ゲーム。
 博士が勝ったら、情報を。
 男が勝ったら、博士を不死人に。
 博士を仲間に引き込む。それが男の望み。
「死んだら、不死人になれないとは初耳だな」
「そう、だからウイユちゃんには生きててもらわないと」
 二つの視線が交差して。
 互いの眼差しの中に、何を読み取ったのか。
「博士(ドクター)」
 博士の視線が不死人から外れる。振り返った博士の背後に立っていたのは、ジェイソンだった。
 いつの間に、近付いてきたのだろうか。その気配は寸前まで存在していなかったと言うのに。
 博士は白衣の裾をひるがえす。不死人の目に映る白衣の背。
「面白い情報を得た。行くぞ、ジェイソン」
 不死人から得た情報を早速、活用するつもりなのだろう。喜々とした声が熟れた唇の間から漏れる。
 博士の思考の全ては、この世界のどこかに潜む最愛の存在――至高(サフィ)に占められている。スペクトルの瞳を持つ、化け物に。
 博士は首だけで、不死人を振り返ると。
「情報提供に感謝する。が、待ち伏せするなら、今度からは、腐った荒野は遠慮して欲しい」
 白衣に匂いが移る。博士の言葉に、不死人は口元を歪ませた。
「慣れれば、悪い匂いではないんだけど」
「衛生上に問題がある」
「……ごもっとも」
 正論といえば正論だが。
「行くぞ、ジェイソン」
 博士は歩きだす。
 その行く先には一台の黒塗りの車。
 博士の背後に従うのはその助手。
 車に乗り込んだ博士。やがて、車はエンジンを唸らせて動き出す。黒い車体が上下に揺れながら荒野を走り出す。
 それを黙って見送った不死人は、やれやれと頭を振る。
 あれのこととなると、周りが見えなくなるのは、いつものことだが。別れの言葉すらないのはあんまりだ。
 それが彼女らしいと言えば、そうなのだが。
 もっとも、それもサフィの眼球が、博士の手に落ちるまで。
 その時までの辛抱だ。
 その時が来れば――。
 不死人は笑う。
 すでに遠くに去り、小さな影となった黒い車を見つめて。
 不死人は笑う。
 いつか来るそのときを思い。
 不死人は笑う。
 そのときの瞬間を夢見て。
 不意に、不死人は笑いを引っ込める。視線を自分の胴へと下ろし、
「しまった。服を弁償してもらうのを忘れてた」
 肩から溶けてしまった服。今度あったときに、弁償してもらわなければ。
 その時までに、至高との決着がついているのか。
 それは神のみぞ知ることだ。




「同属が危うくなれば、至高(サフィ)も隠れてはいられないだろう」
 心を躍らせながら、うっとりと博士は言う。
 こんなところで、不死人と会えるとは思っていなかった。おかげで、良い情報を得ることができた。
 濡れた白衣を脱ぎ、新しい白衣に袖を通す。
「一度、ラボに戻る」
 サフィの同属。同じスペクトルを持つ生き物たち。牙と爪を持つものを相手にする以上、万全で望むのが良い。
「同属(なかま)の眼球を目の前に並べてやったら、サフィはどんな表情を浮かべると思う?」
 博士は夢心地で呟く。
 サフィの目が憎悪に燃えて、自分を見つめる瞬間を思い浮かべて。
「あぁ、その瞬間が待ち遠しい」
 全ては、恋焦がれる至高を引き付けるために。
「さぁ、忙しくなる」
 博士の言葉に、ジェイソンは黙って頷いた。
 一台の車が荒野を抜けたのは半日後のことだった。







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